夕闇が迫る街並み・・・。
けして多くはないが、少なくもない人通りに面した一軒の古ぼけた屋台。
ちょうど柳の木の下に位置する屋根は、外の喧騒を遮断し、静かな空間を作り上げていた。


――その狭い椅子に 男が二人座っていた。
二人の前には 滑らかな酒が注がれた御猪口が二つ…静かに置かれている。


「…この前は助かったぞ銀時…」


そう静かに呟いたのは、長髪の男だった。

「・・・お前のおかげで、我らの作戦も軌道に乗った・・・」

男は酒を飲みほし、またついでから、そっと懐に手を差し込んだ。


「・・約束の『礼』だ」


そう差し出されたのは 厚みのある封筒だった。

それを無言のままに受け取った銀髪の男は、己の懐にその封筒を滑り込ませ 酒を煽った。


「・・・―――恩に着るぜ・・・ヅラァ」


酒を飲み干した銀髪の男がそう笑んだ。

それには答えず、長髪の男はその瞳を伏せた・・。






「・・・―――…・『あの日』からもう4カ月になる・・・そろそろ『ワケ』を話してくれてもいい頃ではないか?」







静かに問われた言葉に、酒を煽っていた男の手が止まる…。

――だが暫くの沈黙の後・・・男はその唇をうっすらと歪めた。




「・・まだ・・早ぇよ・・・・・」




――くつくつ・・と微かに笑うその表情をみて、長髪の男は微かに顔を顰めた。


『獣』のような顔をする――そう思ったからだった。









■ 青き風 紅の椿  弐■













闇に呑まれ、暗いその道に消えていく後ろ姿を、桂はその瞳を眇めて見送る。


こうして度々『仕事』を頼み、報酬を渡すのは――もう何度目だろう・・・。



しかも『仕事』の内容は桂の率いる『攘夷志士』の活動だった。


その腕を見込み、何度誘いをかけても決して首を縦に振らなかった男が、
『報酬と引き換えに『仕事』を請け負うようになったのは、今から――四カ月も前の事だった・・・。







桂は今でも忘れていない――

『あの日』・・――あの男・・・『坂田銀時』が突如、己の元を訪ねて来た姿を―――。









『・・・頼むヅラ・・・力を貸してくれ』



―――酷い雨の日だった。
ずぶ濡れの男がそう頭を下げてきたのは・・。



すでに時刻は日付を跨いだ深夜。
突然の来訪、そして当然の言葉に何事かと問いただそうとしたが、その言葉を咄嗟に飲み込んだ。


何があったかわからない・・。
傷を負っているわけではなかった・・。

だが・・その時の銀時は 酷く殺気立っていた。


―――頼む


そう再度強く零した銀時は腕の中に 小さな少年を大事そうに抱えていた。

桂は―――この少年を知っていた。
銀時の営む万事屋メンバーの一人だ。

万事屋では主に家事や雑務を担当しており、眼鏡を掛け、質素な着物に身を包んだ地味な印象がある。
あの常識外れのメンバーの中で唯一礼儀がなっており、唯一の常識人でもあった。


だがこの少年は見かけによらず、なかなか一筋縄ではいかない少年だった。
幼い顔立ちをしているが剣の腕も立ち なにより凛とした鋭い強さを持っている。
そんな少年を好んでいた銀時がいつでも傍に置こうとしていた。



だが――今の少年はいつもの明るい面影が何処にも無い。
それは頭に痛々しく白い包帯が巻かれていたせいでもあり、または――意識を失ってピクリとも動かない所為かも知れなかった。


どちらにしても、尋常ではないことが起きていることだけは推測できた。
長年の付き合いと感で、今問いただす時ではないと悟り
不満の声を上げる仲間を黙らせて、桂はすぐに銀時を招き入れた。




ずぶ濡れになった銀時の身体は冷え切っていて、顔は血の気が無く青白かった・・。
だが―――その赤茶色の眼だけは、異常に生気を帯びていたことを――桂は記憶に残している。









部屋を用意し、暖かな布団を敷いた。
人払いをし、桂と銀時と二人だけで向き合った。

目の前に布団が用意されても――銀時は・・・その少年を離そうとはしなかった。
己の膝の中に抱き込んで、その身体を手放そうとしない。

銀時の濡れた着物から雫が落ちて、それが少年の頬をつうっと筋を描く。
良く見れば、必死に守っていたようで、少年は銀時ほど濡れてはいなかった。
だが――怪我人を冷やしては身体を損なう―――そう静かに諭すと、何度か躊躇った後ようやく銀時がその手から少年を離した。



用意させた新しい寝間着を手渡すと、銀時が無言のまま少年を着換えさせ 布団で包む。

その姿を遠くで見つめながら、桂はその少年を見て眉を潜めた。


―――少年は、記憶にあるその笑顔をの欠片も無く、まるで死人のような酷く青白い顔をしている…。
以前に会った時よりも、痩せているように見えたのは気のせいではないだろう
生気の無い顔はまるで壊れた機械人形のようにも見えた。

桂の記憶の中の少年と―――どうしても一致しない。


そうこうするうちに、銀時が一息つくのが聞こえた。
それを合図に、桂は銀時を隣の部屋へと誘った。










――酷い顔をしている。

目の前に座った銀時を見てそう思った・・・。



いつも死んだ魚のような濁った眼をしているが、今はそれとは違う暗い澱みが垣間見える。
疲労の為か顔は青白く――目元にうっすらと隈が浮かんでいて、それがより一層この男の雰囲気を殺伐としたものにしていた。

そして―――あの眼だけが、いつもと違う『色』を滲ませている。
だがそれは、決して―――『明るい』ものではない。


この男のこんな顔は・・・過去に一度見たことがあった。



「・・――飲め・・・酷い顔が更にひどい状態だ」


そう、仲間に用意させた熱燗を促す――

すると・・・

――うるせぇな・・そうぽつりと零して、銀時は熱い酒を飲みほした。



暫くの沈黙が続いた…。
桂は銀時の様子を見て、微かに眉を寄せる。



――銀時は酒を煽りながら、時折襖に視線を走らせる。――少年の眠るその部屋へ 何度も何度も視線を向ける。

まるで何かを『恐れている』ようだ――そう桂には思えた。






「・・どうしたというのだ・・一体」



そう桂が口を開きかけた瞬間・・



「・・お前に頼みがある・・・」


――それを遮って、強い声が聞こえた・・・。





「――『家』を貸してほしい…江戸からできるだけ離れた場所がいい・・。どんな襤褸でもかまわねぇ・・人目に付かない『家』を俺に貸してくれ」


――銀時の言葉に、桂は眉を寄せる。

「・・・『家』?そんなものどうする?お前は歌舞伎町に『家』を持っているだろう?」

「・・・あそこは『捨てた』」


そう銀時が短く・・・きっぱりと言い放った。


「それから・・・なんでもいい・・金になる仕事をくれ・・。―お前の活動の手助けでもいい…なんでもやる・・・・」



銀時の言葉に桂は眼を見開いた・・・。
あれほど誘っても 今まで一度だって銀時は桂の誘いに乗らなかった・・――なのに


「細かいことは今は聞くな・・今は本当に金がない…手段を選んでられねぇんだ・・」



銀時はそう低く言い放ち、また酒を煽った。

「あと医者を・・・お前の仲間で医術をかじってる奴はいないか・・・?『怪我』の様子を見てやってほしい・・・」

そう言われて、桂も奥の襖に視線を向けた。


「・・酷いのか?」

そう問うと銀時は首を振る・・。

「いや・・。だが歌舞伎町のヤブ医者に診せただけだから不安だ・・。それに今も雨の中を来ちまったしな・・・・・」
そう銀時が顔をしかめて、また襖に視線を走らす。

「わかった・・後で診させておく」


そう答えると、銀時は目に見えて安堵したように表情を崩した。




「恩に着る・・」




そして――

「―――それから・・・」

と、銀時は不意に懐を探った。




「・・・この手紙を 神楽に渡してもらいてぇ・・・。できるだけ人目につかねぇようにな・・・。お前の部下ならお手の物だろ・・・?」



そう差し出された封書を見て、桂は頷いた。

この手紙が何を意味するのかは今は詮索する時期ではない。
銀時のただならぬ様子・・負傷した少年…なにもかもが謎だったが今は触れる時期ではないと悟っていた。


「わかった・・すべてお前の望むようにしよう・・・。だが今は休め・・・何度も言うが酷い顔をしているぞ・・」


「・・うるせぇ・・イメチェンだ」




そう言うなり、銀時は徐に立ち上がり隣の部屋へと足を進めた。
そして襖をあけ眠りに落ちている少年の姿を視界にとらえる――その瞬間、その表情に安堵が浮かぶのを桂は見逃さなかった。


だが――それは少年の容体に対する安堵とは・・少し違う気がした。







とりあえず風呂と医者を手配しようと、桂は銀時を残して部屋を出た。

―――するとそこに気配を消した部下が身を潜めて立っていた。



「お耳に入れたいことが…―――」


そう小さく――だが緊張した小声で囁かれて眉を潜める。

「どうした・・・?」

「・・ここでは・・あちらにて」

男はそう銀時のいる部屋へと視線を動かす。――意図を悟り静かに頷いて、桂もその場を離れた。









「どうした・・・なにかあったのか?』
月明かりが微かに入る薄暗い部屋で、男と向き合い再度問うと、男は静かに頷いた。


「―――『朗報』です」



その言葉に、桂は眉を上げる。







「どうやら我らが宿敵―――『真選組』の幹部が一人・・・・討たれたようです」




その言葉に、桂は眼を見開いた。


「なに・・?討たれた?」


男は頷いた――


「・・・まさか」


桂は言葉を失う・・。




『真選組』…それは桂達攘夷志士達の宿敵。
局長 近藤を筆頭に江戸に君臨する巨大組織。


ふざけた奴らだが腕が立つ・・。
それは長年彼らから逃れてきた桂は骨身に染みて知っていた。




――その幹部が討たれたとなれば…ただ事じゃない。




「・・・・・―――して・・誰が討たれた?」



そう桂が密かに問う。

すると

「・・・――それが」

と男は微かに顔をしかめた。


「…『誰が』討たれたのか・・今のところ掴めておりません…」

「なんだと?」

「それが・・・真選組は情報を漏らすまいと必死に隠しているようです…。当然と言えば当然です・・・『士気』に係わりますから・・・』



―――だがそれは・・



そう男は眼を細めた




『裏を返せば・・・それほどの地位にいる者が討たれたということです」



桂は口を閉ざす―――その通りだった。




「『裏』ではいろんな憶測が飛び交っております…―――様々な説がございますが、有力なのは

『局長』の近藤・・『副長』の土方 そして『一番隊隊長』の沖田…その誰かではないかと…」



桂は言葉が出ない。
その名前は嫌というほど知っている。
そしてその誰もが真選組の中枢…討たれたとなれば、組織が崩れるほどの大物ばかり…。





男は更に声を落とす…





「・・・特に多い噂は…――――『副長土方』だと」




桂はその男の顔をマジマジと見返した・・・。



真選組鬼の副長と呼ばれる男…『土方 十四郎』
剣の腕もさることながら…真選組の頭脳とも呼ばれている。


だからこそ・・・鵜呑みにはできない。

そんな男が討ち取られることなど・・・ありえるのだろうか?







「・・それは確かな情報なのか・・・?担がれてはいないか?」

そう険しい顔で尋ねると、男はその眼を細める。





「…確かに、誰が討たれたのか詳細ははっきりしません…。そしてその生死も・・・確証はありません。ただ・・・―――」



「・・・真選組の幹部…その誰かが討たれたことは―――確かです」



桂は顔を顰める。





「・・ならば・・・いつ頃このようなことが起きた・・?」




桂の問いに男は微かに顔を歪めた…




「詳細な日付は判り兼ねます・・・。なにしろ真選組はそのような情報を漏らすまいと必死なようですから・・
ただ・・そう遠い日ではないでしょう・・・。もしかしたらここ数日の間かと…」





―――咄嗟に桂は・・・誰もいないはずの廊下を見た…。






―――そう・・『あの男』なら不可能ではない…。





白夜叉と呼ばれ・・・恐れられていたあの男の腕を持ってすれば
あの真選組の幹部を・・・鬼の副長と恐れられたあの男を討ち取ることも・・不可能ではない。






―――だが 何の為に討つ必要がある?








「・・桂さん?」


黙りこみ己の思考にはまり込んだ桂を不審に思ってか、男がそっと声をかけてきた。
桂は僅かに首を振りそして視線を上げた。





「ご苦労だった・・・だが・・まだ憶測の域をでぬ・・もしかしたら我らをおびき寄せる罠かもしれんな・・・。
どちらにせよ・・今しばらくこちらも慎重な行動をとるべきだ・・・・」


はい・・と男は頷く・






「とりあえず・・・この話は明るみに出るまでここで留めておく・・』
男はまた頷いた。






**




話を終え、桂は物思いに沈んだ。
雨の音が聞こえる廊下を歩き、ふと立ち止まり その暗い闇に包まれた庭を見つめた。




この雨の中・・少年を抱えて訪ねてきた銀時・・。


あれほど離れたがらなかった家を・・『捨てる』と言っていた・・。





銀時の行動と・・・真選組のこの噂・・
はたして無関係といえるのか・・・。








桂は途中、部下に用意させた銀時用の新しい着物を受け取って部屋へと向かう。

「入るぞ」 
と小さく呟いて、障子をあけ、―――そのまま立ち止まった。




奥の部屋・・・少年が眠るその傍らに銀時が座っていた。
いつも通りの胡坐をかき、ぽりぽりと頭を掻きながらも―――少年のその寝顔を・・・なんとも愛おしそうに眺めている。


不意に銀時の手が動いて、少年の白い頬を撫でた。
頬を撫で・・・ゆっくりと唇をなぞるとその赤茶色の瞳が 愛おしげに細まる。






桂はそっと障子を閉めた。


立ち入るべきではないと・・そう察した。




踵を返し、部屋から静かに離れて行きながら 桂は静かに目を伏せた。






・・今は・・・よそう






長年の付き合いだからわかることがある・・・。


銀時は今、切実に助けを必要としていると同時に・・その理由を悟られたくない・・。
例えそれがどんな理由であったとしても、今はそこに踏み込むわけにはいかない・・。






それが―――生死を共にした桂と銀時の戦友の絆だった――







**





―――二日後 銀時に家を貸した。





銀時に貸し与えた家は・・江戸からかなり離れた古びた家。
三人で住むには十分な広さがある代わり、文字どおりの襤褸屋で家具も無い。

元々は桂達攘夷志士が密かに身を寄せ合い、情報を交換したり身体を休めたりする場所だった。
その為に必要最低限のものしか揃えていない…。場所も日当たりが悪く 交通も悪い。
だが銀時は一向に構わないといった。


歌舞伎町というほど都会ではないが・・・田舎と呼ぶほど静かな場所でも無い。
それは銀時が望んだ条件でもあった。



不思議なことに、桂が居る間あの少年は意識を取り戻さなかった・・・。
仲間の医者に診させたが、その原因は不明だった。

雨に濡れて酷く消耗していた所為かもしれないし、頭を負傷していたからそれが原因なのかもしれない・・・・・・。
だが――頭の怪我については良く手当てされており、心配はないという。


―――それよりも・・・と医者が声を落としたのは

少年の身体に無数に残る 痣の方だった…。


刀で切られたものではもちろんない―――だがそれほど昔のものでもない…。

決して少なくない数散らばるその痣の正体に、桂は眉を潜める―――

痣は特に腕と首に集中していると 医者は言った…。




あの小柄な体にあれほどの痣があることに 心が苦しくなかったわけではない・・・。





だが――あえて――今の銀時には問わなかった。










―――『大家』という肩書で、部下を用意した。
それは桂がこちらからの情報、そして銀時からの要望を聞く為に接触する人物が必要だったからだ。



少年を寝かせる為の蒲団だけくれといわれ・・・薄い布団一式を渡す。
そうこうしている間に、万事屋のもう一人のメンバ―チャイナ娘の神楽がそろった。







それは・・・まるで『歌舞伎町の家』そのものだった。






ただ一つ…あの少年が『全ての過去を失っている』ことを除いては…。










少年が記憶を失っていると聞かされたのは―――始めて『仕事の報酬』を手渡す時だった。






「そっ何にも覚えてねぇよ 俺の事も神楽の事も―――もちろんおめぇの事もな」




その言葉はいっそ楽しげに聞こえた。










「――― 邪魔すんなよ ヅラァ」













その一言に『暗』に含まれた意味を悟り・・・―――桂は言葉を失うと同時に…・後悔した。













小さな町の 襤褸屋―――
それは・・・平和な姿をした牢獄だった…。



銀時が巧みに作り上げた

―――少年を 捕える為の―――平和で穏やかな・・出口の無い檻。


記憶をなくした―――哀れな少年を捕える為の 平和な姿をした 恐ろしい牢獄









気が付いた時には・・遅かった。


あの少年に少しでも係わる者が近づくことを・・・銀時は許さなかった。
あの少女とあの犬以外…少年の過去を知る者をことごとく遠ざけた・・・。
その為になら―――手段を選ばなかった。






歌舞伎町を捨てるといった真の意味は―――


『こういうこと』なのだ―――とようやく悟った時には、少年は既に牢に入れられ退路を断たれていた。







**



銀時…お前は一体・・・何をしようとしている・・



そして・・何があったというのだ・・・。






その姿を見る度に・・・桂はそう思わずにはいられない。





ほんの少し前まで―――あの歌舞伎町の あの家は―――幸せであったはずなのに…。
桂の記憶の中では―――あの家で 三人 罵り合いながらも それでも 幸せにいたはずなのに


―――なにがあそこまで・・・あの男を駆り立てたのか・・・?


なにがあの男を―――夜叉へと変貌させたのか・・・?









――銀時・・お前は何を望んでいるのだ・・?



闇しか残らない道を見つめたまま―――桂はそう心の中で問う。









お前は――― 一体・・・







だがその問いに答えは無く―――冷たい秋の風が 悲しげにひゅるりと鳴いた・・・・









続く・・




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