音の無い…暗い闇が何処までも続いている…――。
その闇の中で、はらはらと…何かが舞っていた…。


白くて細かいその破片が、なぜだか花びらのように見えた…。

グランバニアに咲いていた…白くて小さな花…。――母の好きだった花…。


その光景の中で…聞こえるはずがない・…・――柔らかな声を聞いた気がした…


―――…その声に・・・微かな記憶が蘇る・・・


それは・・・・遠い 遠い―――幼い頃の儚い記憶…


+++



―――…柔らかな夕日が差し込む部屋だった。



白くて長い指が見える。
そこに煌く青い光は、水のリングだ。
父と対になっているこの指輪は、永遠の愛の証として母に送られたもの。
海の色をした宝玉からは、微かに波の音が聞こえた…。

波の音に耳を澄ませていると、ふと、その白い指が髪を撫でてきた。
何度も頭を撫でるその手がとても暖かく優しくて、
そして母から香る 花の香りがまた心地よくて
とろん・・と目を閉じた時、頭上から優しく、でも・・・どこか切なげな声がした。


「…あのね―――…これから母様は、アルマにとても大切なお話をしなければいけないの…」


その言葉に、閉じた瞳をあげる。
そうすれば、そこには美しい女性――…母、ビアンカの顔があった。
最近床に伏せったままの彼女は、微かに青い顔をしていた。


「…お話?」


アルマが首を傾げて問うと、



「そう…。とても大切なお話よ」



―――と、母は静かに頷いた。








空と海が合わさった深い碧い瞳が、静かにアルマを見つめて揺れている。
そしてそこに浮かぶ表情は、今までに見たことがないほどに固く、真面目なものだった。

いつも優しくて明るい、無邪気な母だから、こんな表情を見たのは初めてだった。


…いつもとは違う母の様子に緊張感を感じながらも、アルマはただこくりと頷いた。
――すると、母が柔らかく暖かい手を寄せ、優しく頬を撫でてくれた。
その手の温もりが、アルマの胸に生まれた緊張感をほぐしてくれた。


「…――本当は、アルマがもう少し大人になって、心も体も成長した時に話したかったのだけど…」


ビアンカは独り言のようにそう零し、何かに耐えるように瞳を伏せた。

微かな沈黙が流れた。

―――やがて、ビアンカは何かを決意したかのように その視線を戻した。


「…アルマには、母様からの受け継がれた天空の守護。
そして父様から受け継がれた、地の神エルヘブン守護がある・・・これはわかるわね?」


そう問う母に、頷いて答える。
母はそれに頷き返し、そして碧い瞳を細めた。


「でもアルマには・・・・天空でも地上でもない・・・『第三の力』があるの――…」



「・・・『第三の力』?」




アルマは首を傾げる。
『第三の力』…と言う言葉は、ピンと来なかった。

そんなアルマの心を察したように、ビアンカは優しく頷いた。


「…アルマは知らなくて当然なの。その『力』はアルマの…とても深い所に眠っているものだから――…」


その言葉にも、ただ首を傾げることしかできなかった。

「・・・私の『奥深く』に、『第三の力』があるのですか?」

「――…そうよ。とてもとても深くに静かに眠っているわ…でもね」


と、ビアンカはその碧い眼に憂いを浮かべた。

「・・・『その力』は…お父様もお母様も…そして、クラウドも授かっていない。
―――…アルマだけに与えられた特別な『力』なの・・・」

母の言葉に、アルマの顔に驚きの表情が浮かんだ。

「…・クラウドも持っていないの?…何故ですか?私はクラウドと双子なのに・・・」

そう口を開いた途端、唇を優しく抑える指がある。
それはビアンカの指だった。
ビアンカは僅かに微笑んで、静かに首を振った。

「クラウドはクラウド…。アルマはアルマ。双子として生まれているけれど、全てが同じというわけではないの。
クラウドにしか無いもの・・・それにアルマにしか無いものがあるわ・・・」

ビアンカの言葉に、アルマはただ茫然とする。
だってクラウドは双子の兄だ。
生まれる前から共にあり、生まれた後もずっと一緒にいた存在…。

――故に、全てのモノを共有してきた。

確かにクラウドの持つ 『勇者』 としての『力』はアルマにはない…。
―――だが、形は違えどビアンカから受け継がれた『天空の血』が、アルマにもその恩恵を与えている。
それは父、リュカから受け継いだエルヘブンの守護も同じだった。

天と地の加護…。――それはクラウドとアルマ、二人ともに与えられたもの…。
だが、母は言うのだ。
クラウドには無い、アルマだけに与えらえた 『モノ』 が存在するのだと…。


その事実にアルマは困惑し、俯く。
どう受け止めてよいのか分からなかった。


―――だが、戸惑い、強張ったその体が温もりに包まれる。母に強く抱かれた為だった。


暖かい体温に包まれて、それがなんだか胸を一杯にさせて、アルマもその体にしがみ付く。
静かな鼓動を聞き、花の香りに包まれていくと、先程広がった不安と困惑が不思議と溶けていく気がした…。


そんな時…母の微かな声を聞いた。


「…アルマの中に眠っているその『力』は…とても巨大で…でも同時に恐ろしく『危険』なモノでもあるの。
だから母様が、マスタードラゴンと共に、その力をアルマの奥深くに眠らせることにした…。――封印したの…
…―――でも…その封印は『完全』ではないわ。
アルマが成長し、今よりも、もっと強い魔力を身につければ、その封印は簡単に『解く』ことができる…。」


「…でも母様 私は…」


使わない。と声をあげる。
それほど母が悲しむ『力』など、どうあっても使うはずがないと…。――だがビアンカは…切なげに微笑むだけだった。

「うん。わかってるわ…。アルマは決して人を傷つけない子だもの…。
とても優しくて、思いやりがあって…。人を大切にできる子。…――母様は、そんなアルマの事が、本当に大好きよ」

母の言葉に、アルマの頬は薔薇が散ったように赤くなる。
胸が…体中が、嬉しさと誇らしさでいっぱいになっていく。


…――だが、次に聞こえた母の声音に、その心が震えた。





「…――だから・・・母様は・・・アルマのことが心配なの。」





呟かれた声は、微かに震え、擦れていた。
母の異変に気づきアルマは顔を上げようとした…―――が、強く抱きしめられている為に、顔を上げることができなかった。

何かを言いたかったが、何を言えばいいのか分からない…。顔を上げることも叶わない…。
だからたくさん考えたのち、母が何を伝えたいのかを黙って待つことにした…。


夕日はいつの間にか闇に変わっていた。
部屋には静かに揺れるランプの灯だけが、優しくこの場を照らしている。

そんな静寂の中で、母の声が聞こえた…。



「…・・―――アルマは、『誰か』を守ろうと心を決めた時…きっと『封印』を解放することを望んでしまう…。
――『その日』は…『必ず』訪れる・・・」


ビアンカの手がより強く、アルマを抱きしめた。


「・…でもその時…・・・・母様は『傍にいて』あげられないわ…。」


その言葉に暗に含まれた意味を悟り、アルマの体が強張る。・・・だが、その体を強く抱いてビアンカは続けた。





「…だから…母様と約束してほしいの…―――


例え、大切な人達を守る為だとしても…――たとえ最後の手段だったとしても、



アルマの中に眠る『第三の力』を解放することを考えないで…。



でも・…もしも、アルマがその決断をする日が訪れたのなら…・・――その時、思い出してほしいの…。


―――母様の・・・言葉を…





***




(・・・母様・・・…――ごめんなさい)




薄れゆく意識の中、自然と溢れた涙を零しながらアルマは思った…。





(・・・・約束 守れなくて ごめんなさい・・・・・・・・・)






■ 蒼穹の翼…序  ■





眩いほどの晴天。

そんな空の下、グランバニアの大きな門の前には、小さな人だかりができていた。
大勢の兵士と魔物達。そして城に仕える多くの使用人。
彼らの視線が注がれる中心にいるのは、眩い金髪を靡かせるクラウドだった。

だが彼はいつものような旅姿ではなく、正装に身を包んでいる。
鮮やかな空色の衣と 純白のズボン。そこに海色の帯を締め、天空の剣が差されている
そんなクラウドの背後にはピエール オジロン そして緊張した面持ちの家臣達が控えていた。

「・・・じゃあサンチョ くれぐれも後を頼んだよ」
「ええ わかっていますよ。安心してくださいクラウド様」

自信たっぷりに胸をドーンと叩くサンチョ。それに微笑みながら、クラウドはシーザーに視線を移す。

「シーザーもどうか後を頼む。・・・ピエールがいない間、君が魔物達のリーダーだ。]

その言葉にシーザーも大きく頷き、親しみをこめて鳴いた。

「スラリン、コドラン、メッキー それに皆、後を頼むよ。」

クラウドの言葉に数匹の魔物が心得たとばかりに頷く。

そんな彼らを一通り見渡したのち、クラウドの視線が自分を映したことを知り、アルマは慌てて微笑んだ。

しかしクラウドの表情は変わらない。――クラウドが微笑まない理由は十分にわかっていた。


「・・・アルマ」


そう名を呼び、アルマを引き寄せるクラウドの表情が陰りを帯びる。
頬に触れてくる手は冷たく、アルマはそこからクラウドの感情を感じとる。

瞳を上げればそこには空色の瞳がある。だがその瞳は複雑な色を浮かべ、アルマを見て揺れている。

それはクラウドの心に渦巻く激しい葛藤の所為だとわかった。


クラウドは今日から一週間…―― グランバニアを離れる。

ラインハットで行われる…重要な会議に出席する為だった。

辺境の地にあるグランバニアが他国との会議に関わるのは今回が初となる。
その為、王子であるクラウドだけではなく、大臣となったオジロン。モンスター代表者としてピエール。
そして複数の家臣も同行することになっていた。


グランバニアの未来の為、今回の会議出席は必須。


…――だが
これほどの長い時間・・・それも国の幹部の全てが国を空ける事など、グランバニアの歴史にはなかったのだ。

例え正統な王が不在であろうとも、必ず同じ血を受け継いでいる者が玉座を治めていたし、それさえも不在な時は、大臣や幹部がその穴を埋めていた。
だが今回、その大臣達もそろって国を開けることになる。

国の柱が不在の一週間。グランバニアは残された者達だけで守ることになる。そしてその中心に立つのは『王女』であるアルマなのだった。

クラウドはそれを心配し、また、納得していないのだとアルマには分っていた。

こんなに長い時間二人が離れることも初めてであれば、こんなにも長期の間、クラウドがアルマを残して国をあけることなどなかった。

いつも一緒だったのだ。どんな時でも…。
手を伸ばせば触れられる…。それが二人の距離だった。




クラウドはアルマの頬に触れたまま、微かに目を細める。

何かを言いたそうに・・・何かを耐えるかのように結ばれる口元を見て、アルマは慌てて微笑んで見せた。

「大丈夫よクラウド 心配しないで・・・クラウドが戻るまで皆でグランバニアを守ります。」

そう微笑むアルマに、クラウドの瞳はただ細められるだけだった。

会議の行われるラインハットにアルマも同行させると言っていたクラウドは、今でもその想いは変わっていないのだろう。
だがここに残ると強く希望したのは他でもないアルマであり、クラウドはその意思を崩すことができなかったのだ。


「クラウド 安心して。 私がしっかりとクラウドの留守を守って見せるから」


クラウドの感情を感じ取りながらも、アルマはもう一度・・・先ほどよりも明るく言ったが、その言葉にクラウドからの返答はない。
暫くの沈黙のうち、何かを堪えるように唇を結び、その眼は何かを言いたげに細められたまま、クラウドは何も言わずアルマの頬にその唇を寄せた。


――唇が離れたのち、すぐに強い力で抱きしめられる。―――…いつもより、強い抱擁だった。



暫くの沈黙ののち、クラウドは、何かをふっきるかのように体を離した。



「ー――・・・じゃあ 行ってくるよ できるだけ早く帰るから」

「うん…いってらっしゃい」




「――ではクラウド様 いってらっしゃいませ」


皆が一同に頭を下げる中、クラウドとアルマの視線が重なった。


微笑むアルマの前で、笑みを返さぬまま、クラウドはキメラの翼を天に放り投げた―――…。




++



「…さぁさ。お城に戻りましょう。アルマ様」

空を見つめたままのアルマに、サンチョが優しく声を掛ける。

「大丈夫ですよ。アルマ様。このサンチョや皆が傍に降ります。安心なさってください」
「そうだよ!アルマちゃん!ボクらが守るからねvボク達アルマちゃんを守るナイトなんだから!」

アルマの足元を跳ねながら、スラリン達が満面の笑顔を向ける。

「ええ。皆ありがとう」

そう微笑み返したのち、アルマはクラウドが消えた空に視線を向けた。



「…大丈夫…私が必ず――皆を守ってみせるから…」




アルマのその呟きは、吹き抜けた風が掻き消して、誰の耳にも届かなかった……






++
+++



ラインハット…。


「お前・・・その不機嫌な顔どうにかしろよ…」

コリンズのうんざりとした声にクラウドは答えない。目の前に広げられた書類をただ無感動に眺めている。
そんなクラウドを見て、コリンズは大げさな溜息をついた。

「…3日間ずっとその調子だ。――いい加減にお前のその顔見飽きたぞ…。いつもの外面の良さはどうしたんだよ。まったく…」

コリンズはそう言いながら、ふと、何かに思い当たったように意地悪く笑んだ。



「――…そんなに堪えたのか?アルマに『フられた』ことが…」



その言葉に、書類を捲っていたクラウドの手が止まる。


「さては図星だな…。へぇ〜お前も案外『人間』らしいところがあるんだな」

コリンズがニヤッと笑った途端、クラウドが手に持っていた書類を無造作に放り投げた。

散らばった書類を見て、コリンズはやれやれと肩を竦める。

「――機嫌が最悪なのはわかっているが、会議の事を忘れてくれるなよ?
お前がそんな態度でいれば、『グランバニア』の評価が下がる。そうなれば、どうなるかわかるだろう?
この会議は、ラインハットだけではなく、グランバニアにとっても、大きな転機になるんだからな…」


「――…わかってる」


そう答えた声はいつになく刺々しかったが、クラウドが一つ、重い溜息を吐くのを聞きとって、コリンズは瞳を細める。
ラインハットに到着してから、何度、クラウドのこのため息を聞いたことだろう――。


「…まぁ、上の空になる気持ちもわからなくもないさ…。
初めてだからな・・・――お前とアルマが、こんなに長い時間離れたことは…。」


コリンズはそこで一度言葉を切り、目を細める。



「それも…アルマの『意思』で…」



その言葉に、クラウドの体がピクリと動く――


「――いつだって一緒だったからな・・・お前とアルマは…。だから断られるなんて夢にも思わなかったんだろ?――・…だが俺に言わせれば・・・」





「―――…・・どうかしているのは『お前』だ…」




突如、低く呟かれた言葉にクラウドは視線を上げる。
ぶつかった視線には、先程まで無かった、強く、険しい色が浮かんでいた。



「…何故…連れてこようなどと考えた?」


コリンズの表情には、はっきりとした表情が浮かんだ。


「…下手にこんな場所に連れてきて、他国の王子に見染められたらどうする気だ?」


咎めるような視線がクラウドを貫く…。


「相手は『国』が絡んでる…。いつものようにいかないことくらい、お前なら分かるだろう…?」


その視線から目を逸らし、クラウドは苛立ちを隠せない溜息と共に呟いた――。


「…ああ・・・わかってる」

「わかっているのか本当に?――お前の意見だけではどうにもならない事態だって起こりえるんだぞ・・!
『国』とはそういうものだ!個人的な意見より、『国の利益』を優先させる.・・・特に相手国の女性との婚姻は
もっともよい契約手段だ・・・!皆喉から手が出るほど欲しがる・・・そういう理由でアルマを欲しがる男に口実を与えてやるつもりだったのか!」


「――――ッ・・そんな事…俺にだってわかってるッ!!」


答えたクラウドの声が鋭く響き渡った・・・。



+++



そう…。わかっている。


各国の王子が出席するこんな会議にアルマを連れてこれば、面倒なことになることくらい・・・。

ただでさえ、交際を申し込む手紙が頻繁に届いている…。
こんな絶好の機会ならば、少しでもアルマと誼を結ぼうと、相手は躍起になるはずだ。

今までは何かと理由をつけて断り続けてきたが、このような場ではそれも難しいだろう。
相手は『国』という後ろ盾がある…。下手な行動は取れない。軽率な判断は、グランバニアにも危険を及ぼすのだから…。


その問題を考えれば、連れてこなくて正解だったと言われるのはわかる・・。
連れてこようとすること自体、愚かだということも…。



だが――・・・クラウドの顔を曇らせるのは、その理由だけではなかった。



重い溜息をもう一度吐いて、クラウドは用意された紅茶を口に運んだ。――先程から、喉が渇いて仕方がなかった…。


「・・・正直にいえば、俺だってアルマに会いたかったさ。ラインハットに綺麗な花が咲いたから、それも見せたかったしな…」

言いかけて、不意にコリンズは悪戯っぽく微笑んだ

「だがそれは、この会議後のお楽しみに取っておく。・・そう思えばこの重苦しい会議も乗り切れるだろうからな」

コリンズは軽く微笑んで、書類を纏めながら立ち上がった。

「と、いうわけでお前も早く帰りたいなら、さっさと会議を終わらせることを考えろ。
―――俺は打ち合わせがあるから先に失礼する。お前もその顔なんとかしてから来いよ!」

ひらひらと手を振ってコリンズが出ていったのち、クラウドはため息をついて外に視線を移した。



**


窓の外は眩しいほどに光に満ちていた。
空は抜けるように青く、雲も白く、そこに鳥の囀りが聞こえて、とても穏やかな空間が広がっている。

まるで正反対だ…。

と、苦い笑いが浮かんだ…。


クラウドの心には・・・黒い暗雲が広がっている…。

あの日から…ずっと――…。





―――…クラウドはそっと胸に下がる宝玉に触れた。

それは涙型をした、青い魔石。
10歳の誕生日に、アルマから贈られた首飾りだった。

この首飾りは、『ストロスの杖』から作り出されていた。
父を石化から戻す為に砕け散った魔石の破片を武器屋の主人が加工し、アルマが細工した物だ。

初めて首に掛けた時から、この魔石には淡い光が宿っている。
それは、クラウドの身を守るようにと、アルマの魔力が込められている為だった。


クラウドがグランバニアに張った結界と同じく、アルマの『生』がある限り魔力を帯び続けるこの首飾りは…二人を繋ぐ『絆』だった。


――クラウドは、そこから感じる魔力に瞳を細める。
指先にこの魔力を感じると、僅かに落ち着くことができた。


魔力が宿っている限り、アルマの身に危険が及んでないとわかる…。
二人の間の絆は断ち切れていないと確認できる…。

だか…その安堵も束の間のこと…。
どんなに魔力を感じ、アルマの無事を確認できたとしても、こうして絶え間ない不安に心が侵食されていく…


クラウドは瞳を伏せる。同時に、また重い溜息が漏れた…。
そうしてまた繰り返し思い出す…。『あの日』のことを…―――。





…―――ラインハットで行われる会議の件を話したのは、『知ってもらう必要』があったからだった。


…―――アルマも一緒に同行して貰う為に…。



――なのに…





『・・・私・・グランバニアに残るわ』



首を振るアルマに―――ただ茫然とするしかなかった。

予想外の事態だった・・・。
アルマがそんなことを言うなんて、思いもしなかったのだ…。


かろうじて『なぜ?』と問い返せば、


『だって私はグランバニア王女だもの。
クラウドがいなくて…オジロン大臣やピエールもいない。だからこそ、私が国を…グランバニアの皆を守りたいの…』


それに…とアルマは微笑んだ。


『――心配しないで。私は『一人』でも大丈夫よ』



その言葉…そして向けられた微笑みに、心が凍りついた。



アルマの顔に浮かんでいたモノ…。

それは、『作り笑い』




アルマがそんな顔で自分を見たのは、初めてだった。



『…アルマ…何を考えてる?』



乾いた口から出た言葉は、擦れた。


思わず手を伸ばしたが、触れることができぬままその手を止めた。

目の前にはまだ、あの笑顔を浮かべ続けるアルマがいた。


それは言葉のない『拒絶』に思えた。



嘘で塗り固めた顔…。

そんな笑顔を向けられて、何を言えばよかったのだろうか?


思考は悪戯に空回った…。
いくつもの言葉が浮かび、そして言えぬまま消えていった。


力づくで連れていくことは簡単だった・・・。――だがそれはできなかった…。
もしその方法を取ればアルマの『拒絶』が更に強く、取り返しのつかないモノになることが、容易に想像できたからだ…。


結果、アルマを置いていくことを了承しなくてはならなかった…。





その結果に納得できず、アルマの意思を崩せなかった自分に腹が立ち、なにより激しい焦燥感に胸を焦がしていたから

結局最後まで…、アルマに微笑む返すことすらもできなかった。





――その全てを後悔している・・・





**


苦い溜息をつき、クラウドは瞳を伏せる…。・・・そこには、苦渋の色が浮かんだ。





――もう、目を逸らすことはできない…



苦渋の表情と共に、クラウドは唇を噛みしめる…。






ここで無駄に足掻いても、話題を逸らしても…ますます歯車が狂うだけ・・・。
この焦燥感や苛立ちが消えることなど…―――ない・・。

もう・・・『避ける』ことはできないのだ・・・


――そう・・・『受け入れなければならない時期』が・・・きているのだ。




―――…アルマとの間に生まれていた、『亀裂』を…。



+++




クラウドとアルマは…『生まれる前』から一緒に居た・・。
・・・そして生まれてからも片時も離れることなどなかった。

相手が何を言わなくても、その瞳を覗きこめば心が伝わる…。
手を伸ばせば 触れられる…。
それが・・・二人の『距離』だった・・。


・・・・・―――『異変』に気が付いたのは、物心が付いた頃だった…。

クラウドはアルマとの間に、微かな『擦れ違い』を感じるようになったのだ…。

ほんの僅かな…些細な『擦れ違い』・・。

最初はその程度の物だった…。



だが―――『それ』は二人が成長すると共に形を変えて、時には『違和感』…また、時には大きな『ズレ』として…
度々・・・クラウドの目に入るようになった。


――アルマはその僅かな『異変』に気づかないようだった。
彼女だけではなく、周りにいたサンチョやピエール、そして父や、母でさえも…。

その『違和感』を感じたのはクラウド、ただ一人だけだった…。


『違和感』の『正体』が一体何なのか…クラウドには分からなかった…。
だが、あえて…クラウドはその『正体』を暴こうとはしなかった…。

知ることを―――無意識に拒んでいたのだ。


なぜなら・・その『違和感』を目にする度に――
得体の知れない『不安』が…クラウドの心に影を落とすようになったからだ。

避けるが故に――『恐れ』は大きくなる。
『知ることを避ける』から『不安』が募る――
それは分かっていた…。

それでもクラウドは・・・眼を背け続けた…。
『勇者』と呼ばれ、『獅子』と呼ばれた強さを持ちながらも…クラウドはそこに眼を向けることが・・・どうしてもできなかった。



――だから、気付かない振りをしていた…。
見えない振りをし、目を逸らしてきた。―――この『亀裂』が、誰にも気づかれぬままに、消滅することを望みながら…。


だが『違和感』は――決して消えることはなかった。
それどころか、時が経つにつれて、目が逸らしきれないほど露わに見えるようになった。
『違和感』はいつしか・・『亀裂』という名に変わっていた・・。



だが同時に・・――『時間』はクラウドを成長させていた…。
そして、成長と共にその『亀裂』の正体…。そして、何故彼が『目を逸らそうとする』のか・・・その『理由』を悟らせた。





『亀裂』の正体は……アルマの『自立心』だった。



クラウド以外、気付かなかった理由も、今ではわかる…。

なぜなら、人から見れば…それも肉親であれば、彼の感じた『亀裂』は―――『当たり前』のことだったのだから…。








クラウドとアルマは双子の兄妹だ。


兄は幼い妹を慈しみ、守る。
だが…いつも守られている妹は、いつしか兄の手を離し、自分の足で立とうとするもの…。

それが成長であり、自立だ。
必要なことであり、それは必然だ…。


『兄』の手を必要としなくなる…。
その『存在』から離れようとする…。


自然の流れの中で、必ず生まれる『亀裂』…。―だが、それは・・・『尊いもの』だと・・・周りの者は思うだろう。


保護するものから巣立っていく。
巣立とうとしていく…。

その光景を・・・・。



アルマも…そうだと、オジロンが微笑みながら零したのは、クラウドが13歳の時だ。


『最近のアルマは…あまりクラウドに頼らなくなったな…』


柔らかい笑みを浮かべて、オジロンは続けた。

『昔はいつでもクラウドの姿を探して、不安げな顔をしていたが…今は一人で・・必死に前を見ようとしている姿が多い…。』


優しく続けられる言葉に…クラウドは肯定も否定もしなかった・・


『…アルマにとって・・『クラウド』は一つの目標なのかもしれないな・・・。アルマはクラウドのようになりたくて一生懸命なのだろう』

――・・続けられた言葉に、返答はできなかった。

会話の端々で『クラウドのように…』と、呟かれる言葉を何度も聴いていた。
そこに『暗』に含まれた意味に気づかないほど、クラウドはもう幼くはなかった。


でも・・・その意味を受け止められる程 冷静ではいられなかった・・・。


『アルマは少しづつだが、成長しようとしている・・・。』


オジロンは優しく穏やかな笑みを浮かべた・・・


『クラウドの背に隠れず、クラウドの手を借りず、立ち上がろうとしている・・・。―――…『クラウド離れ』をする日もそう遠くはないだろうな…。』


伯父のその言葉は、クラウドの胸に暗い影を落とした。




事実…アルマはまだ不安定だった…。
精神的にも傷つきやすく、とても脆い…。

だからこそ…周りの者は、一人で立とうとするアルマを見て、このような笑顔を浮かべることができる。
脆い少女だからこそ、成長が必要なのだ。愛する故に、彼女が一人で立つことを望む。


―――…でも

クラウドにはそう捉える事が出来ない・・・。
どうしても、そのように考えることはできないのだ。


アルマが一人で立とうとすればするほど…クラウドの中の不安が膨れ上がる。
アルマが、自分の手を必要としなくなればなるほど、クラウドの心が掻き乱れていく…。


…クラウドは、アルマが自立することを望んでいない。


それは成長を妨げたいわけでは…ないと思う。



この感情を言葉で表すのは難しかった…。


そう、 ただの『兄』なら…――『肉親』なら、オジロンのような視線で見ていられるのかもしれない…。
アルマの成長の為に、生まれた『亀裂』を受け止めることもきっとできる。



だがクラウドには…それが出来ない…。


クラウドにとってのアルマは…すでに『妹』ではなかった・・。




アルマを――…愛してる…。






だから、『自立』という言葉のもと、アルマが『離れていく』ことが耐えられない。

『クラウド』を必要としなくなるその瞬間が…恐ろしい・・・。


―――だが、その『想い』こそが、アルマとの間に埋まることのない『亀裂』を生じさせるのだ。


二人の最大の問題は、思考のズレだ。


クラウドは手の届く範囲にアルマを置いておきたい。
そして傷つかぬように背に庇い、何からも守ってやりたい…。

それはアルマを愛しているから、何よりも大切に想っているから 守りたいから・・・
その全ての感情が クラウドをそのように行動させてしまう・・・。

だが――そうされる度に アルマは罪悪感に苛まれているのだ。

なぜならクラウドの背に庇われ、守られる度に、アルマは己の無力さと頼りなさ 弱さを責める。
迷惑を掛けている・・・。重荷になっている・・・。――…それは全て、自分が弱い所為だと思い込んで・・。

その思考のズレが、二人の間に大きな感情の『擦れ違い』を生じさせ、悪循環を繰り返してしまう。


なによりもクラウドを悩ませるのは、自分を責めたアルマが、無理に強くなろうとすることだった…。


最近は隠れて、慣れない剣術を学び始めている。
アルマは回復魔法を使えない。その為 傷ついた手を隠す為に手袋を着けることが多くなった…。

また以前よりも一人の時間を求めるようになった。
多くの本を読むようになり、一人で書斎に籠る時間も長い。
だが決して、何の本を読み、何を考えたのかをクラウドに語ることはない。


それどころか、熱があることすらも隠そうとする・・・



アルマは、弱く頼りない自分をクラウドに見せたくないのだ…。



今回の行動も、そのような思考が働いた結果だろう・・・。


アルマは無理にクラウドと距離を取ろうとしている・・・。
クラウドの重荷にならぬようにと、迷惑をかけないようにと考えて…



一人で大丈夫…と強調するのはその所為だ…。





そこまで思い出し、クラウドは無意識に唇を噛んでいた。



―――『一人で大丈夫』…と微笑まれた、その言葉が今でも胸に刺さっている・・・。

見えない拒絶…。それを感じるからこそ、こうしてより強い不安に苛まれる…。

『拒絶』の原因は『自立心』だ。

なら、アルマの望むように、傷つく姿を黙って見ていればいいのか…。
アルマの望むように、自立させればいいのか…。
そうすれば、この『亀裂』はなくなると言うのか…。




心配しないで…


と、アルマは言う…。


その言葉を信じて、見守れと言うのか…。


目の前で あんな顔をされても、気づかぬふりをしろというのか――!


…そんなこと、できるわけがないのに――!





ただでさえ、アルマは線が細く、脆い―――だからこそ、触れていなくては、不安なのだ…。

手の…視線の届く距離にアルマが居ない――、それが堪らなく辛かった…。


アルマに異変があれば、必ず分かる…。そうわかっていてもこの不安感が拭えない。


今すぐ、アルマに触れたくて、声が聞きたくて堪らない…。


でも、それが叶わぬことを知れば知るほど、何かを渇望するように、喉が渇いた…。
どんなに水分を摂っても潤わない渇き…。

―――それは同時に、焦燥感と苛立ちをもたらした・・・。


何度か挨拶に見えた各国の王女が、何かを言いたげにこちらを見てくる。
上目遣いと、甘い声で何かを期待するように口を開き、また、誘うように眼を細めるのを見るのはいつものこと――…だが
それを笑って交わす事が出来ないくらい、腹正しく見えるのは、自分に余裕が無い所為に違いない。

冷たく撥ね退け、それをコリンズに咎められ、それすらも苛立たしくて、こうして始終唇を噛む…。

大事な会議だと十分にわかっている。
それでも感情がコントロールできていない…。こんなこと、ここ数年なかったはずなのに――…。


クラウドは瞳を伏せる。そして何かに耐えるように唇を噛んだ。

――アルマとの間にあるこの『亀裂』が怖い…。



いつかこの僅かな『亀裂』が、取り返しのつかないほど大きな『裂け目』となりはしないか……と恐れる自分がいる。

だが――同時に乗り越えなければならい『壁』だと思う。

クラウドとアルマが双子である限り…。兄と妹である限り――決して避けては通れない『壁』だということも、どこかで気づいている。



―――でも・・・



(…一人でも大丈夫よ)


作られた笑顔に、胸が軋む…。


あんなに痛々しい顔を・・・何故させなければならなかったのか――…。


それが自立の為であろうと、成長の為だろうと…――何故、アルマがあそこまで追い詰められなくてはならない…!


あのように痛々しく…壊れそうな顔を目の前でされている…―――いや、させたのはクラウド自身。

それが許せないほど腹正しく……それでも―――答えの見えない事実に・・やり場のない苛立ちが胸を焦がした…。



もうすぐだ・・・。

と、クラウドは無理矢理に自分を納得させる。

会議はもう、最終段階に向かっている。
このままいけば、予定よりも早くグランバニアに戻れるはずだ…。

そうしたら・・・。

クラウドはそこで、何かをふっきるように立ち上がった。


***


兵士は思わず出そうになった欠伸を噛み殺した。

ここラインハットの屋上。

数人の兵士が見張りの為に四方に視線を走らせている。


「・・・ほんと いい天気だな」


欠伸を噛み殺した兵士は、頭上を見上げて苦笑する。
そこには突き抜けるような青空が広がっていた。

「そうだな。こんなに穏やかで気持ちのいい日も久しぶりだな。絶好の昼寝日和だぜ」

近くにいた相方の兵士もそう相槌を打つ。――が

「だが、気を引き締めて仕事に取り組んでくれ…。なんたって各国のお偉いさん達が集まっているんだからな」

突如言われた言葉に、二人の兵士は思わず飛び上がる。そこには笑みを浮かべた隊長が立っていた。

「はっ!!申し訳ございません!!」

二人して敬礼し、上ずった声でそういえば、隊長はくつくつと笑う。


「目が覚めたようで結構。」


隊長が背を向け去っていき、兵士は大きく息を吐く。

「はぁ〜びっくりした!突然いるんだもん・・・」
「本当だな…。あれ…?」

そこで言葉を切った相方に、兵士が首を傾げた。


「おい。どうしたんだ?」


怪訝そうに問えば、さらに怪訝な声が返ってくる。

「『あれ』・・なんだ?」

その言葉に誘われて兵士も視線を向ける。そしてあんぐりと口を空ける。
突き抜けるように明るい空の中に、奇妙な黒い点が浮かんでいる。


二人は城壁に駆け寄り、目を凝らす。

黒い点は…――動いている。だが、今にも墜落しそうな奇妙な動き方をしている…
暫くして、それが生き物であるのがわかった…。


だが、『ただ』の生き物ではない・・・あれは―――



***



(・・・流石…だな)

会場に現れたクラウドが、文句の付けようのない笑顔を浮かべているのを見て、コリンズは苦笑する。
先程のような不機嫌さでこの場に現れたらどうしたものか・・・と思っていたのだが、
クラウドは見事に 『グランバニア国 第一王子』としてこの場に姿を現していた。

クラウドが席に着けば、各国の王子が挨拶に向かう。
初の出席となるグランバニア…なにより『天空の勇者』と誼を結ぼうと、クラウドに挨拶を求めてくる者は後を絶たたない。
だがその度に、クラウドは見事な笑顔を浮かべて挨拶を返している。


思い出せば、自分もあの笑顔で騙されていた…。とコリンズは一人、苦い思い出に苦笑した。



**


コリンズは書類を揃える振りをしながら、ちらっと辺りを見渡す。そして書類で口元を隠して、にやりと笑う。

 
…――狙った通り、クラウドが現れた瞬間から、この場の空気が変わっている。


先程までの浮ついた空気が消えて、微かな緊張感がこの場を支配している。
だが、それは決して心苦しいものではない。――…それがいい。

(流石…勇者様ってやつだな…)

と、コリンズは、胸の中で一人呟く。


このクラウドがもたらす『覇気』こそが、会議を進める上での重大な役目を果たしていた。


なにしろ、一国の王子といえど傑物だけでは決して無い…。
コリンズ自身、嫌なほどに身に覚えがあるが、
…蝶よ花よと甘やかされて育った為に無駄に自信家で、しかも手に負えないほどに我儘で、
挙句の果てにどうしようもないほど『自己中心的』な者が少なからずいる。

そういう奴に限って、会議の主導権を握ろうとしたり、周りを引っかき回す発言したり、問題を起こしたりしたがるものだ。
そうなれば会議は少しも進展せず、時間だけが無駄に過ぎる悪循環に嵌り込む…。

そういう者を黙らせる為には、クラウドから放たれる覇気は大いに役に立った。

コリンズも幼い頃にそれを実感しているから、効果は抜群だ。
効果は目に見えて表れ、以前から警戒していた何人かは、クラウドの姿が現れた瞬間から怯えたように小さくなっている。


そんな時コリンズに、そっと耳打ちしてくる者がいた。…―――ラインハット大臣だった。


「本当にコリンズ様とクラウド様はよきパートナーですね。」
「…クラウドと俺が?」

コリンズは思わず噴き出す。だが大臣は穏やかに微笑んだ。

「クラウド様からの与えられる緊張感。それは確かに必要ですが、それを適度に和らげるコリンズ様の存在が、こうして良い雰囲気を作り出しているのでしょう。
お二人のお陰で、少々問題のあるあの方々も大人しくしております。このままいけば、予定より早く…それもいい形で会議が終わりそうですね」

彼の言葉に苦笑する。

「まぁ外面だけはいいからな。あいつは・・・」

くつくつ笑いながら、紅茶を口に運ぼうとしてコリンズはふと、視線を止めた。


「コリンズ様?」

大臣が不思議そうに尋ねてくるが、コリンズは答えなかった。



コリンズの視線の先に、クラウドがいる。
だが、様子がおかしい…。

同じく違和感を感じたのだろう。
挨拶をかわしていた相手が、クラウドを見てキョトンとしている。

「あの・・・クラウド様」

おずおずと呼ばれても、クラウドは答えない・・・。

答えられずはずも無かった…。



***

クラウドは何度目かの挨拶をかわし、内心でうんざりとため息をついた。

「これはこれは有名な『天空の勇者』 クラウド エルケル グランバニア様 お会いできて光栄です!」

同じような挨拶を何度も聞き、それと同じ回数同様の返事を返す。
その度に笑顔を張り付けて、気持とは裏腹の明るい声を出さねばならない。
それが酷く鬱陶しく、苛立ちを煽った。――しかも

「クラウド様には双子の妹君…――『アルマ』王女がいらっしゃるとか…。
国中で噂になっておりますよ。その美しさはまるで『天使』のようだと…。
ぜひ一度、アルマ王女ともお話させていただきたいものです。またどうか、我が国へお越しになってください」

相手は必ずこうしてアルマの事を話題に出す。
そこに暗に含まれた意味は、さらにクラウドの気持ちを苛立たせた。


挨拶をする度にアルマの名を口にする…。その度に、心のどこか疼く…。
だがすぐにまた一人と手を差し出してくるから、感情に支配される暇がない…。それがありがたかった・・。



「…あの、クラウド様、お初にお目にかかります。私は…」


そんな時、また握手を求められ、同じような挨拶が交わされた。
クラウドも手を差し伸べ、何回目かの作り笑いを浮かべる――・・・が、突如その顔が強張った・…。

「…クラウド様?」


相手の言葉に答えることができないまま、クラウドは思わず手をつく。
その衝撃でティーカップが床に落ち、鋭い音を上げたのが遠くで聞こえた――。





―――体を突き抜けた衝撃に―――…クラウドは言葉がでない・・・。



まるで一瞬の間に脳天から足元までが、冷たい雷に貫かれたようだ……。

細胞が、凍りつく。瞬きもできない。――体温が、極限まで下がる気がした…。

「―――ッ!?」

突如クラウドは胸を抑え、よろめいた。――脳が痺れるような、鋭い痛みがクラウドを襲ったのだ。

胸が…――左胸が恐ろしく痛かった。―しかし、痛むのは『心臓』ではない――。

痛みを訴えているのは…クラウドの『魂』だ。

…内に在る『魂』が、声無き『悲鳴』を上げたのだ。



それは、クラウドがこの世でもっとも恐れる『悲鳴』を意味していた――




毟るように胸を押さえ、呆然としたままあげた視線の先に、空が見えた…。

先程まで、突き抜けるように青かった空…。


だが、目に映ったその光景に、…――背中が粟立った



グランバニアの方角―――… 
そこにだけ・…―――暗黒の雲が立ち込めている――…



クラウドはとっさに魔石を握る。


だが…そこに触れた瞬間、その顔からは瞬時に血の気が引いた。



震える指に握られられた青い魔石―――…。



そこに常に帯びているはずの魔力を――…感じることができない―――…。



叫びは声にならなかった――!


それと同時だった。切羽詰まった兵士の声が聞こえたのは――







**


激しい音と共に、会議室の扉が勢いよく開かれる。――それと同時に駆け込んできたのは、一人の兵士だった。
コリンズが顔色を変えて席を立ちあがる。
すると兵士は酷く青い顔をしたまま、その場に跪いた。

「会議中にお許しくださいッ!ですが緊急事態でございますッ!!」
「『緊急事態』だと!何が…」

そう言いかけ、コリンズは不意に言葉を切った。
その兵士の腕に抱かれた『生き物』を見て硬直したのだ。


兵士の腕に蹲る奇妙な生き物…。
それは間違えなく『魔物』である。…――だが、見覚えがあった。



コリンズが顔色を無くすと同時に、兵士が叫んだ。




「グランバニアに――敵襲でございますッ!!」



+++



兵士の言葉は一瞬、会議室に静寂をもらたした。――…が、直ぐに、大きなざわめきとなる。

「グランバニアに敵襲!?どういうことだ!?」
「魔物に襲われたのか?だがなぜ…?魔王は滅んだはずだろう!」
「魔物とは限らない!盗賊か窃盗団なのではないか!?最近ポートセルミで有名じゃないか!」
「そんなことより我が国はどうなのだッ!襲われたのは本当にグランバニアだけなのかッ!」

不安に駆られた者の声が飛び交い、一瞬にして部屋はパニックに陥った。―――その時だ。


「――静まれッ!!」


コリンズの厳しい声が響き渡った。
その声はこの場に一瞬にして静まりを取り戻す。

混乱と、不安が滲む視線が集中する中、コリンズは唇を噛み、その魔物に手を翳した。


「…――詳しい状況を知るなら、直接聞いた方が早いッ…」


コリンズはその魔物に手を翳す。
黒く小さな体は少しも動く気配がない。――それはすでに瀕死の状態に見えた。

(すでに手遅れかも知れない――)

そう、内心眉を顰めながらベホマの呪文を唱え始める―――だがそんなコリンズの瞳が突如見開かれた。



「・・・傷が…無い・・・?」




瀕死のように見える魔物…。
鳴く力さえ無いようにぐったりとしているが、その体に癒すべき傷が一つも見当たらない・・・。


「…――これはどういうことだ…?クラウド?…」

コリンズは呆然としたまま、そう問う…――が、その返答がない。
不信に思い、視線を向けると―― 『魔物』ではなく、手元を見つめて立ち尽くす、クラウドの姿が目に入った。


「――ッ!?クラウドッ!お前何して…」


「…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・途切れてる…」


「・…え?」


その意味を取りかねて、コリンズが問い返す。…すると再び、擦れた声が響き渡った…。







「…アルマの魔力が…途切れている」







その言葉に、コリンズの瞳も見開かれた…。

そしてコリンズもまた、呆然とクラウドの手に握られた魔石を見た。


いつも淡い光を宿していたはずのその魔石…。
――だが今は…石のように冷たい色に変じ、少しの魔力も帯びてはいない。



――片時も外すことなく、クラウドの首に掛けられていた首飾り…。
その青い魔石に帯びた魔力の意味を…――コリンズも知っていた。




「…・・ッ――バカ野郎ッ!!」



唇を噛みしめて、コリンズは乱暴にクラウドの胸倉を掴み、叫んだ。



「『そんな』ことでッ!自分を見失うなッ!」




コリンズの激しい声に、クラウドは視線を上げない。――そんなクラウドの胸倉を掴み、コリンズは激昂する。

「いつもお前が言っていることだろうッ!最悪な状態だからこそ、冷静になれッ!」

胸蔵を掴まれ、激しく揺すられるクラウドは、それでも瞳をあげようとしなかった・・・。

「…ッ!」

不意に皆の息が詰まる音がした。
それは、コリンズがクラウドを殴り飛ばしたせいだった。


激しい拳を受けたクラウドの体が、机に叩きつけられる。
木製の机は横転し、それと同時にいくつかのティーカップが割れ、辺りに激しい音が鳴り響く――!


震える拳を握り締めながら、コリンズがクラウドの前に立ちはだかった。


「…俺は、お前が持っているような『便利』な首飾りなんて持っていないからな・・・
だからその魔力が途切れただけで、諦めるなんてバカなことはしない・・・ッ!」


クラウドが唇を噛みしめる。そこから血が滲んだ。


「・…そうしていたいなら、そうしていればいい…。何時までもそこで、光らない魔石を眺めていろ・・・」


コリンズの声は擦れた。


「…でも、お前はそんな男じゃないだろ…?クラウド」



―――クラウドが拳を握り締める。
噛みしめた唇からは血が流れ落ちた。


コリンズはそれを見て、切ない笑みを浮かべた。



「俺は自分を見失わないように最善を尽くす…。だからお前も――…理性の欠片にしがみついてくれ…」



**


暫くの沈黙のうち、クラウドは無言のまま立ち上がった。
口元を流れる血を拳で拭い、そのまま足を進めた。



足を止めたのは跪いた兵士の前だった。


クラウドは、静かに手を伸ばす。――その先には、蹲る生き物がいた。

しん…と音が無くなったこの空間で、全ての視線がクラウドを見て、同時に小さなモンスターに集中する。
息を詰めて見守る中、クラウドの手が小さな体を静かに撫でるのがみえた。



「……よく…ここまで来てくれた…メッキー」


クラウドの声は、低く、静かだった。


「…頼む…。アルマに何があったのか、教えてくれ…」



その声に、先程からぴくりとも動かなかった魔物―…メッキーの体が微かに動いた。

メッキーは弱々しく翼を動かし、それから僅かに首を持ち上げた。
大きな目を微かに開き、クラウドを捕らえると・…その目からは大粒の涙が溢れた…。


「・・・・・・・・・・クラ・・・・・ウド…」


…今にも消えそうな声で・…小さく鳴いた言葉を・…全ての者が聞いた。


「・・・・・・・カエル・・・ ハヤク・・・・」



メッキーは更に涙を零した…。




「・・・アルマ・・・・・・タスケテ・・・」









メッキーは切なそうに一声甲高く鳴いた…。


そして、―――・…意識を失った。




いや・・・―― 死んだように眠りに落ちていた。


**




「・・・・・・・・お前は至急!第三会議室にいるピエールにこの件を伝えろ!オジロン大臣にもだッ!!」
「はっ!!」
「ラインハットもすぐに警備を固めろッ!各国代表を決して危険に遭わせるなッ!
親父…ヘンリ―王に至急通達!魔法第三部隊は城門に待機せよッ!」

コリンズの命令に、多くの兵士が敬礼し駆け抜けていく。

「クラウド…今は事を急ぐ、お前と俺だけでグランバニアに行く。いいな…」

コリンズがそう言いながら素早く印を結ぶ・・――がそれを兵士が遮った。

「お待ちください!コリンズ様!グランバニアへ魔法で行くことは叶いません!!魔法封じの陣が張られています!」
「何・・ッ!」

コリンズは驚愕に目を見開く。

「さきほど、我が魔法部隊がグランバニアへの進路を確保しようとしましたが、魔法はおろか、キメラの翼にいたるまで封じられているのですッ!」
「・・バカなッ!」

あまりの事態に、コリンズは絶句する。
国全体に魔方陣を張ることなど、並の人間にできる事ではない・・・。

それは『敵』は只者ではないということだ…。――しかも、事態は恐ろしいほどに深刻だった。

なぜなら、グランバニアが完全に孤立したことを意味していたからだ――。


兵士は苦渋の表情を浮かべる。

「――至急『船』を手配しておりますが…ッ」

「船など・・何の役に立つッ…!」

コリンズの声は、擦れた。


ラインハットからグランバニアまで…船で行こうとすれば一月は掛かる。



「船など必要ない――ッ!」


そう言い放ったのはクラウドだった――。
クラウドは、窓を開け放ち、鋭い声をである『名』を呼んだ。!


天空に叫ばれた声と同時に、激しい風が吹き抜けた。
雲が激しい勢いで流れ、それと同時に辺りがまばゆい光で包まれる。


溢れる光が消えると同時に、その場にいた全員が言葉を失い、コリンズすらも空を見上げて呆然とした。



ラインハットの空に…巨大な生き物が浮かんでいた。


巨大な肢体・…広がる翼…。そして黄金の竜眼…。

全ての者が、一瞬にしてその名を思い出す…。



天空の守護竜…マスタードラゴン。





一瞬の間の後、部屋から大きなどよめき起きたが、クラウドは反応せず、その背に飛び乗った。
大きく羽ばたく瞬間、もう一人乗り込んだ者がいる。コリンズだった。

「・…置いてきぼりなんて、野暮なことは言うなよ。」

コリンズは苦く笑う。その手には見事な剣が握られていた。




「この『奇跡』の剣…決して飾る為に持っているんじゃないからな・・・」



**


マスタードラゴンは素晴らしいスピードで天を飛んでいた。

空には激しい風が吹いていたが、まるで透明な壁に守られているかのように二人には少しの風も届かなかった。



「・・・メッキーに掛けられたのはラリホーの呪文だ…。それも、並の魔力じゃない…」


風の音が聞こえるなか、コリンズが唇を噛みしめる。


「口封じの為とは思えない…。『敵』は何を考えている?」



コリンズの問いと同じく、もう一つ響いた声がある――。…――だがその声は、叫ぶのを堪えるように震えていた。


「――アンタは見ていたはずだろ…ッ全てをッ」



俯いた顔に金の髪がかかり、クラウドの表情を隠していた―――…が、その声音からクラウドの表情は容易に想像できた。

傍にいるコリンズにも、クラウドの激しい苛立ちが伝わってくる。
流石『勇者』というべきだろう・・・。その覇気は、コリンズの足を竦ませるほどに恐ろしい…。

そんなクラウドの隣で正気を保っていられるのは、コリンズの精神力に他ならない…。
――なまじの者ならこの覇気で気を失っているだろう・・・。




「答えろッ!!マスタードラゴンッ!!」




吠えるような声が、暗い空に響き渡った。









〈…―――敵は…二人だ…)


静かな深い声が聞こえた。

コリンズは驚愕する――。

「…二人?たった二人なのか?」


(・・・ああ)


重く答えた声に、コリンズはある疑問が頭をよぎる。

「・・・待ってくれ。・・・グランバニアにはお前の結界があるんだろ・・・?魔物も魔法も受け付けないと云われる最強の結界。
それは、マスタードラゴン…。あなたからの守護でもある。――それが敵の侵入を許したのか?」

コリンズの質問に答えた声は、激しい苛立ちを隠せていなかった。




「・・・これでわかっただろ・・・・ッ―――アンタの甘さが…ッ」







歯噛みするようなクラウドの声には、ただ沈黙だけが返ってきた。


**


「も――ッ!最高ッ!!」

女はそう言って、高らかに笑った。

「ずいぶんご機嫌だね」

そんな彼女を見て、隣に立った少年が歪んだ笑みを浮かべた。

「だってこんなに楽しい『狩り』は、久しぶりだもの!」

女はそう言って、楽しげに紫色の瞳を細めた。



――辺りには、強い風が吹いていた。
彼らの髪を攫い、服を巻き上げていく強風。

―――…だが、彼らの周りには、その風によって動く『モノ』が一つもない…。

…その場に散らばる武器の残骸…地面に生える草や花・・・それさえも、風に揺らぐことはない…。

動かないのには、理由があった…。

それらのモノは包まれていたのだ…・・・美しい氷によって―――…。


――少年は、足元に広がるその氷を見て、赤い瞳を細めた

「まさか氷結系最強呪文『マヒャド』をこう使うとはね…。こうして氷を留めて置くのも大したもんだ…。
今回の『獲物』は…君にとっても、俺にとっても…大当たりってことだね。ほんと最高…。・…この『魔力』…興奮するよ」

その言葉に女は紅色の唇を歪めた。
そして、自らの腕に括り付けられた『武器』に、血のように赤い舌を這わせ、笑む――。。



「ほんと・・ゾクゾクしちゃう」





少年も女も、お互いに歪んだ笑みを浮かべあい、その視線を天空に向けた――――


そして、同時に同じ『モノ』をその目に捉える――。


暗黒の雲に覆われ、光を遮られた―――…空




そして――――――暗い空に鮮やかに浮かび上がった・・・白銀の胴体…。




鋭い風を断ち切るように力強く羽ばたくのは――――――――青色の大きな翼…。


そして地上を睨むのは…―――――――――――――金色の竜眼――











***



・・・アルマ……・・・



例え、大切な人達を守る為だとしても、


たとえ最後の手段だったとしても、



アルマの中に眠る『第三の力』を解放することを考えないで…。



もし、アルマがその決断をする日が訪れたのなら…

その時、思い出してほしいの…。


母様の・・・言葉を……。





――その力はね…『ドラゴラム』と呼ばれている―


遥か昔…――闇の種族が…『天空の神』の『力』を欲し…、その『力』を得るが為に生み出した『神魔呪文』…。

天空界に君臨する『神』と同じ姿に…自分の姿を変えることで『力』を得る究極魔法…。



でもそれは…『闇のモノ』が『天の神』の姿を盗むこと…。故に――許されない『大罪』となる…。

その『罰』として一度呪文を唱えれば…二度と自身の姿に戻ることはできない・・・。


大いなる力を得る代わりに…自分自身の全てを失ってしまうの…。
『神』にもなれず、『自分』にも戻れず…『力』を使い果たし、その命尽きるまで、ただ『力』だけを持たされた、悲しい生き物になってしまう…。


それは、自身も…そして残された者にとっても・…耐えがたいほど辛いこと…。



だから…アルマがその決断をする日が訪れたのなら

母様の言葉を・…思い出して…




―――アルマが誰かを大切に想うように、


――誰かもまた・・・



アルマを愛おしく想っている・・―――・





・・・・・それをどうか―― ・・忘れないで…









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