ここはリゼンブール
天気は雨



「帰って・・・っ帰ってください!」

扉の向こうで、少女の泣き声がした。

その扉の前でたたずむのは、軍の制服を着た男性・・・。

雨の中、傘もささずに立っている。

扉の向こうにいるであろう少女をまっすぐに見つめて
彼は少しも動かない。

雨が彼の漆黒の髪を濡らしていく・・・。
青い制服も水を含んで紺色へと変わっていた・・・。

それでも彼は扉を見続ける。


「かえってぇ・・・っ」

少女の、悲痛な声がした。
涙で震えて、何かを押し殺しているような声・・・。



「・・・リィ・・私は帰らないよ」

彼は一言そういった。
しっかりと、貫くような声で。

「・・・っ帰ってください!私はあなたと会わない」

少女の声が返ってくる。

「・・・なぜ?」

彼が問う

「・・・お願いです・・・帰ってくださいっ」

少女の声がまた返る。

帰ってとだけ言い、理由を話さない少女・・・。


やれやれ・・・。


彼はため息をつき、空を見上げた。

**

急に相手が無言になる・・・。
雨の音だけが二人の間に流れて・・・。


声が聞こえてこなくなったから、彼は、帰ってくれたのかもしれない・・・。
そう思ったとたん、急激に足の力が抜けていく・・・。

ドアのノブをしっかりと握り締めながら、
少女は崩れ落ちるかのように床に座り込んだ。

**

部屋の中には、ウィンリィ一人。
今日はピナコはいなかった。
急ぎの仕事を頼まれて、急遽隣町まで出張整備に行ったのだ。

外は雨で、客もこないので、部屋を少し掃除した後、
一人でオートメイルをいじりながら時間をつぶしていた。

そんな時だった。、
突然チャイムが鳴ったのは・・・。

こんな雨の日に、お客さんかしら・・・。

と、扉を開ければ、


そこには彼がいた。


あの日・・・

彼に黙って中央を離れてからの、唐突な再会だった。


「・・・相変わらず、君は美しいな・・・。リィ」


彼が、微笑みながらそういうのを聞いた途端、
慌てて扉を閉めて、鍵をかけた。
焔の錬金術師である彼に、そんなことをしても無駄だとわかっていたけれど、
ノブをしっかり握り締め、開かないように体で押さえる。

でも彼は、得意の焔を出すことはなかった。

扉の向こうから、自分に語りかけてくるだけだった。


**

でも今は・・・もう語りかけてはこない・・・。
この雨だ。
しかも彼は、大佐という地位にあるのだから、仕事をほっては置けないはず。
きっともう、駅に向かって歩いているだろう・・・。

そう考えると、ウィンリィは扉から離れようとした。




その時

ふと


「・・・ゲホ・・げほっ!」

と誰かが咳き込む音がした。


「・・・っ!?」

少女は思わず顔を上げる。

そう、彼はまだ帰ってはいなかった。
沈黙して、まだ扉の前に立っていたのだ。


「げほ・・っ・・・げほ!」

彼の咳はまだ続いていた。

苦しそうに・・
とても辛そうに・・・。

雨の音が、さっきよりも激しくなっているような気がした。

彼が訪ねてきてから、もう一時間。

微かに見えた彼は、傘をさしてはいなかった。

「・・・っ」

少女は思わず、ノブに手をかけた。
でもそこで手が震える。

【リィ・・・好きだぜ】

突然、彼のことを思い出したから・・・。


「・・・・エ・・・ド」

少女の瞳が揺れる。
ノブから手を離そうとする。

だが

「・・ゲホ・・・ゲホゲホ」

彼がまた、咳き込んだ。

今度は先ほどよりも、強く・・・


死んでしまうかもしれない・・・

一瞬そう思った。

「・・・ロイ・・さ・・」

そう思った瞬間、少女は扉を開けていた・・・。


****


ガシッ


扉を開けたとたん、大きな手がその扉を押さえ、
次に足を差し込まれ、もう閉じられないようになっていた。

「・・・・・・・・・・・っ」

目の前にいた彼はずぶ濡れで、でもどこか優しいような
意地悪そうな顔をして言った。

「・・・君は優しすぎる。あんな簡単な嘘に騙されて、
こんなに簡単に扉を開けてはいけないな。とくに軍人相手に・・・」

彼は雫を落としながら、まっすぐに自分を見ていた。
漆黒の瞳が、貫くように何かを求めるようにこちらを見る。

ウィンリィは、たまらずノブを戻そうとするが
彼の力で扉はもう動かなかった。




「・・・会いたかった」





ふと・・彼がそういった。


少女の胸が

締め付けられる。

涙が溢れてくる。



「・・・あなたは・・・ずるい」

ウィンリィはそう呟く・・・。

「・・・なにがずるい?」


「・・・あ・・・あなたは大佐で・・・いろんな女の人と関係があって・・・
いろんな人があなたのその言葉を待っているのに・・・
なぜ私に言うんですか・・・?」



「・・・君を愛してるからさ」


「・・やめてください」



「愛してるよ・・・リィ」



「お願い・・・っ・・・もう言わないで」


ウィンリィは耳を押さえて、首を振る。


だが彼は、その腕を取り上げてウィンリィを見た。

漆黒の瞳が自分を捕らえる。


ロイの瞳は苦手だった・・
なぜなら迷いがないから・・・。

動揺も、不安も、ロイの瞳にはない。
だからこちらが揺さぶられる。

動揺しているのも、不安に想っているのも
すべてが曝け出される。

**

やはりな・・・。

ロイは冷静に少女を見ていた。

少女の心理は知っている。
それなりの時間をかけて、少女を分析してきたのだから・・・。

少女に対して絶対にしてはいけないことは、
こちらの弱みを見せること・・・。

なぜなら少女を心理的に束縛しているのは、【絶対的な存在】。
言ってみれば、子供時代に【親】の考え方に左右されるようなもの。

そう、彼女は【鋼】の考え方に支配され、彼以外の【男】は全てを拒もうとする。
彼女自身がそう考えるよりも早く、心理的にブレーキがかかるのだ。

だから少しの動揺や不安でも見せれば、
少女の心理はすぐに【鋼の定めた法律】に基づき、否定に入る。

なぜなら鋼は、不安も動揺も少女に見せないからだ。
鋼は少女と自分との関係に絶対的な自信を持ち、なおかつ、今まで力も頭脳も
他の男に負けたことがない・・・。
ゆえに、鋼は少女の【絶対的な存在】として、少女の心を占めている。

不安を見せる相手より、絶対的な存在の方が存在感が大きい。
絶対的存在である者に勝つには、こちらも絶対的な支配力が必要だ。

だから少しの迷いも見せなければ、少女は混乱し必ず心を開いてくる・・・。

欲しいものを手に入れるとき、弱みを見せた方が負けなのだ・・・。
弱みを見せるのは、手に入った後でいい・・・


***

暖かいシャワーで体を温め、新しい服を着て、
ロイはタオルで髪を拭きながら、少女に瞳を移した。

少女はどこか落着かないようで、そわそわと窓を見ていた。

ロイにはわかる。

ここに少女を罰する者が帰ってくることを恐れているのだ。

少女の絶対的な存在・・・鋼の錬金術師 エドワード・エルリック。

この状況を見たら、鋼は間違えなく少女を罰するだろう。
少女がここまで気にするということは、鋼は過去数回にわたり実行している。

少女の反応からいって、それは精神的なもの・・・。
鋼が少女を傷つけるとは考えにくい・・。
なら精神的に追い詰める何かを、鋼が罰として少女に与えている。

軍でもよく使う手だ。
身体を拷問するより、精神的に追い詰めたほうが敵は情報を吐きやすい。




ロイはタオルをおき、近くにある写真たてを見た。
そこには幼いころの少女、そしてエルリック兄弟。
幼い三人が、幸せそうに写っていた。

その写真が、全てを物語っている。

これが、鋼の作った檻・・・・。



鋼は過去、母親を練成しようとした過去がある。
母を失い、取り戻そうと禁忌を犯したのだ。

それが鋼の闇・・・。

鋼は全てにおいて、【失うこと】を恐れている。
特に、【愛する女性】・・・。

だから、鋼は常識では測れないほどの束縛を、幾重にも重ねて、少女に施しているだろう。

たとえ離れていようと、声を聞くことがなかったとしても、
言葉と行動で、少女を戒める鎖を作り、その鎖の端を持つことで、
鋼は少女を逃がさない。


それを打ち消すには、少女が自分に感じる絶対的な存在感、安心感が必要なのだ。


***

窓を見ながら、ウィンリィは不安ではちきれそうだった。

もし今、エドが帰ってきたら・・・
もし今、エドがこの場面を見たら・・・
もし今、エドがこの事態を知ったら・・・


そう考えると、ますます気持ちが混乱していく。

エドは怒る・・・。
すごくすごく怒る・・・。


きっと許してくれない。

だって、ロイさんに絶対近づくなといったもの・・・。

ウィンリィはぎゅっと手を握った。

こんな気持ちになることは、今までなかった。
だって今までの男の子は、エド見ると慌てて逃げていくんだもの・・。
殺されたくないって言って・・・。

それから男の子は誰も私に近づかなくなって、
私はいつもエドとアルと一緒で・・・。

それが私の世界だった。

でも

でもロイさんは違う・・・。

エドのことを知っても、私を見つめてくる・・・。
逃げたりしない・・・。
私を連れ出そうとする・・・。


この世界から・・・。



**

ふと顔を上げると、そこにはロイの顔がある。

ウィンリィが言葉に詰まると、ロイは静かに言った。


「・・・鋼のことがあるから、君は私のことを受け入れられないのだろう。」
「・・え・・・」

ウィンリィの顔がどこか驚いたように変わった。
そこでロイは確信する。

少女は、気がついていない。
なにを恐れ、なぜ拒否するのか。
絶対的な存在ゆえに、少女は自分が囲まれていることに気がついていない。

「鋼が・・・怖いんだろう」
「・・・私が・・・エドを?」

少女の青い瞳が不安で揺れる。

そんなこと、考えたことがないのだろう。

なぜロイを拒否しようとするのか、なぜ逃げ出そうとするのか・・・。
どうしてそれが怖いのか・・・。
その全ての頂点に立っているのは、鋼だということを、
少女は頭で理解できていない。


ロイは、確信を持つと、ゆっくりと、はっきりした声で続けた。




「君は何も考えなくてもいい。私を選べ。
ここを離れて、私と一緒に暮らせばいい。
私の力を使えば、二度と君と鋼は会うことはないだろう。
君はもう、何も考えなくていい・・・」


少女の顔が、表情をなくした。

そう見えた。

彼女の世界に小さなひびが入ったからだ。

少女が気がつかなかった、束縛の鎖・・・。
彼女はただ、鋼の小さな庭の中で、鎖に繋がれて生きていただけ・・・。
まるで犬のように、その小さな庭から出ることもできず、
生活上に必要なものは全てそろえられ、その庭がどれほど小さいかも知らず
ただ飼い主である鋼の傍にいただけ・・・。

そう・・・彼女の世界は小さな世界。

幼馴染と祖母だけの世界。

ロイは、そこに、踏み込んだのだ。

鋼のいない世界・・・それは今までの中で少女にはない考え方。
なぜなら少女は、鋼の作った世界で生きていたから・・・。





****


「大佐・・・2日の休暇いかが過ごされたのですか?」

お茶を置きながら尋ねてくる部下に、ロイは小さく笑った。


「・・・世界を壊しにね・・・」

「・・は?」

理解不能というような顔をしている彼女に、ロイは続けた。


「もうすぐ、家を一つ買うかも知れんな」


END










SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送