「これやるよ」




ぶっきらぼうに差し出されたのは、黒く細長い小箱。
目の間に突き付けられた包装紙も無い質素な箱を、きょとんと見る。


「・・・いらねぇなら・・・別にいいけど」


不機嫌そうにジロリと睨まれて、慌てて手を差し出した。
すとんと手に落とされた小箱は よく見れば質の良い物で手触りもいい。


ちらりと窺うように視線を送ると、不機嫌そうな顔が背けられた。
それを『合図』と取って、そろりと箱を空けた…―――






「・・・まっ・・安物だけどな」









箱に収められていたのは シンプルな腕時計―――。


ベルトは深緑色 文字盤は丸く、刻まれた数字も見やすく品がいい。
少し硬めのデザインが・・・選んだ者の性格を表しているような気がした。



「…それなら・・・『いつも』付けていても違和感ないだろ・・?」




思ってもいなかった言葉に驚いて顔を上げる。―――そこには苦笑する優しい顔があった。



「指環だのペンダントだのあげたら…いろいろ煩く詮索してくる奴もいるだろうが・・・『それ』なら問題ないだろ?」



視線の先にはシンプルな腕時計。
高校生で時計をしている者は数多くいる。そんな中で、特別目立つことは確かに――ない。



腕時計をぼぉと見つめたままなのは・・・胸が高揚して何も言う事が出来ないから・・・。

「なんだよ・・なんか言えよ」

珍しく優しく苦笑した声をきっかけに、次第に這いあがってきた温かな気持ちに笑みが毀れた。





「付けてやるよ…」




深く穏やかな声が聞こえて、大きな指が華奢な時計を持ち上げる。


「腕を出せ」


促され、こくりと頷いて左腕を軽く持ち上げると
「お前・・もっと飯食えよ・・ほせぇ」
と苦笑された。


いつもの彼からは想像できないほど優しい手付きで、ベルトが腕に巻かれていく。



ほんの僅かな静寂の後、時計は驚くほどすんなりと腕に馴染んだ・・・。



「『いつも』・・・付けてろよ。部活と風呂と寝る時以外―――はな」



本気なのか冗談なのか分からない顔で言われて



―――思わず声を上げて笑ってしまった。









■君を縛る 偽りの刻印■






「あっ―!!栄口なにそれ!」




昼休みでガヤガヤと騒がしい教室の中で、一際大きな声が響く。
声の主は田島で、大きな眼をクリクリと動かし好奇心一杯の表情で栄口の腕を指差していた。


田島の指先を見た泉が、同じ変化を見てとって眼を丸くする。

それは・・・日に焼けた細い手首に巻かれた、深緑のベルト・・・。


「―――あっ・・ほんとだ・。栄口・・時計なんかしてたっけ?」

指摘された本人は、プチトマトを口に運びながらキョトンとした。

「・・え・・・?あ・・っうん・・その」
そこまで言いかけ・・・かぁと耳まで赤くなるのを見て、泉が口を開きかけた瞬間――

「いや!してない!ゲンミツにしてなかったぜッ!!だって昨日の弁当の時付けてなかったもんね!!」

田島の大声が二人の間に割って入った。

「ちなみに昨日の弁当は鳥の唐揚げでさぁ!3つ入ってたんだけど、俺すぐ食っちゃったんだだよね!あんときは悲しくてさぁ・・あ〜もう食っちゃったんだなぁ・・・って・・でも」
自分から切り出した癖に、田島は隣にいた沖に唐揚げについて熱く騒ぎだした。






「・・・そうだよな。確かに『昨日まで』は付けてなかったよな…」

泉が弁当の卵焼きをぱくんと頬張る・・・


「いいじゃん」
「・・・あっ・・あんがと」

栄口はえへへっと照れ臭そうに笑った。


「―――もらいもんか?」
「え?」
ばくっと肉団子を口に放り込んだ泉の言葉に、栄口は眼を丸くした。


「あんまり・・栄口っぽくないからさ」
「ぅ・・?えっと・・そうかな?」
ぎこちなく時計を見た栄口に泉は頷く。


「…どちらかっていうとさぁ・・・・・・」


そこまでいいかけ、泉はじゅ〜っと牛乳を飲み干す。


「―――まぁそんなことはどうでもいいや。それより、栄口もっと飯食えよ」
「え?」

キョトンとする栄口の手首を泉は徐に掴んだ。


「手首・・細すぎ」
「え?あ・・そうかなぁ?」

自分の手首をしげしげと見つめて栄口は首をかしげる。

「そうだよ。これ男物の時計だけど…こんなに穴余ってんじゃん。こんなんで球とれるわけ?」
「とっとれるよ!捕ってるじゃん いつも!」

「そりゃそうだけど・・・・・・」

握りしめた手首を離さず、泉は弁当を頬張る。

「―――でもさぁ・・栄口は『力』が足らねぇと思うぜ」
「そう・・かなぁ・?」


もう片方の手首を自信無さげに眺めた栄口に泉は頷く。
「てか、お前全体的に細いよ。」
「う〜・・・」
言葉に詰まる栄口を眺めながら、泉は栄口の手首を離さなかった、



**



無意識のうちに、手首を見てしまう。
そこに巻かれた腕時計。それを見るとトクンと心臓が揺れた。


長い付き合いだけど…彼からプレゼントをもらったのは――初めてだった。
あの性格から考えて、どんな気持ちで店に行ったのかと想像すると思わず苦笑してしまう。


きっと『プレゼント』だと言えなかったはずだ。…でも意外と凝る性格だから、ショーウィンドウに長時間這い付いていたに違いない。
店員にも不器用でぶっきらな態度接したのだと思う。恥ずかしさもプラスされているから、態度は最悪だっただろう。

そんな事を考えながら時計を眺めていると――温かな気持ちになる。


プレゼントなのに…そうと分からないように わざわざ包装紙を自分で取り外したかもしれない…。
まったく意味が無い行動に思えるのだが、彼の性格を考えると大いにあり得ることだ。






――それにしても



と  改めて時計を見る。



深緑とは――彼にしては珍しい色を選んだものだ。

きっと自分の事を思い描いて選んでくれたのだと思う。

そこはかとなく自分に馴染んでいるのが面白い―――それでも泉がぼやいたように、彼のカラーもよく表れている。。



嬉しい――と素直に思う。




同時に 彼の子供のような独占欲に苦笑してしまう。




プレゼントと知られるのは嫌なくせに―――『いつでも』付けていろ なんてちゃっかり言って……。
しかもしっかりと 『野球の時』は省かれているのが なんだか笑えた。


―――でも・・あいつらしい・・


そんなことを考えながら、部室への道を歩いた。




**



部室について着換えていると、思いのほか皆から声をかけられた。

「あれ?時計つけてたっけか?」
から始まって「いいじゃん!似合ってるよ!」と微笑まれたり…。
そんなに目立つのかなぁ〜なんてしげしげと時計を見てしまう。



「かっ・・こいい・・栄口く・・ん!」
と三橋の微妙な褒め言葉に苦笑しながら、ふと見えた顔は いつになく険しく不機嫌そうに宙を睨んでいる。
その癖何故か耳まで赤い―――本人が想像していた以上に皆の眼に止まったことで今更ながらに 恥ずかしさでヤキモキしているに違いない。

笑いをこらえてくつくつと身体を震わせていたら、ギロッと鋭い眼がこちらを睨んだから、慌てて顔を逸らし隠す。
いけないいけない・・。きっと夜・・電話でコンコンと怒られてしまう。



時計を外し、傷つかないようにTシャツの間に挟んでロッカーの中にそっと入れた。
後ろで三橋と打ち合わせるその背中に微笑みかけて、帽子を被って外に飛びす。


「じゃあ先に行ってるからな!」
声を掛けると
「おお」
とぶっきらぼうな返答が返った。





**
***


―――二日後


練習が終わり、とっぷりと日が暮れた道・・。
巣山と別れて、一人きりになり角を曲がろうとした時


「やっほ〜栄口」

と、聞こえた声に驚いて振り返る。




街灯の微かな光の下に立っていたのは、柔らかく笑む――――水谷だった。
栄口はポカンと彼を見る。―――なぜなら随分前に別れていたからだ。


巣山とトロトロ話しながら歩いていた事を考えても、水谷と別れてから結構な時間が立っていた。


「ああ・・ちょっと栄口に用があってさ…追いかけて来たんだ」

こちらの思考を読み取ったのかのように、にこりと笑う彼を栄口は更にポカンと見る。


「追いかけるって…電話くれればよかったのに・・そしたら」
「うん・・でも直接会って話したかったから」


とろりと笑った水谷は徐に自転車を動かした。




「――ここじゃなんだから・・・ちょっと移動しない?」
「・・あっうん・・いいけど 水谷は大丈夫なの?もう遅いよ?」
「あはは全然大丈夫だよ。明日は日曜日だし練習も午後からだろ?あっ栄口は家の人にメールした方がいいよ」

そう促されて栄口は慌てて腕時計を見る――が暗くて文字盤が見えない。
慌てふためいて鞄を探り携帯を開くと―――9時30分

「ぅわっ!もうこんな時間?そうだね・・心配するかも…。今日父さんいないし・・姉ちゃんだけには連絡しとくよ」
「その方がいいよ。栄口も安心でしょ?」

ゆるく笑う水谷に ごめんな っと声をかけて素早くメールを打った。
僅かの後ブルブルと携帯が揺れて返信が来た。


「なんだって?」
「あっうん 先に寝るって気よつけて帰ってきてだって・・。ごめん行こっか」
「うん」


へらっと笑う水谷と一緒に自転車を押しててくてく歩きだした。


「星がきれいだね」
ふと見上げた空を見上げて笑うと
「――――うんすごぉく・・綺麗だね」
と水谷が柔らかく答えた。







少しして、大きな橋の上に着いた。
下には大きな川が流れている。


登校する時は朝日が反射してきらきらと輝いているが、夜は闇に包まれていて何も見えなかった。
長い橋には一定の間隔で街灯が付けられていて、夏の夜だから光に誘われた蛾が集まっていた。



街灯の下で―――不意に水谷が自転車を止めた。
それに合わせて栄口も自転車を止める。




「星・・きれいだねぇ」
水谷がとろりと空を見て笑んだ。


「あっうん。すごいよな」


同じく星が輝く空を見て笑むと、水谷がこちらを向いてにこりと笑う。

「栄口と見れるなんて ラッキー」

へらへらと笑う水谷に、栄口は思わず苦笑した。

「何だよそれ!」
あはは・・と笑う二人の身体を 熱を含まない心地の良い風が通り過ぎていった。











「――実は俺さぁ・・・栄口に渡したいものがあってさ・・・」







――――水谷が柔らかく言った。


「・・渡したいもの?」



突然の申し出に眼を丸くすると、いつも通りとろりと笑む顔がある。


「―――うん 栄口にプレゼント」
えへへ・・・と笑う彼をキョトンと見る。



だって・・・誕生日は当の昔に過ぎていて、その誕生日だって水谷からはCDアルバムをもらっていた。
その他特別な事なんて無かったし・・・特に水谷に何かあげたわけでもない・・・。


意図が掴めずキョトンとしていると、水谷はにこりと笑って鞄から何かを取り出した。




「はい 栄口」



差し出されたモノは 細く長い箱だった・・・…
街灯の下で箱を見た瞬間――栄口は奇妙な感覚を覚えた。




この小箱を――何処かで見た事があったからだ。



「はいっ受け取ってよ」


邪気の無い笑みに誘われて、言われるがままに小箱を受け取る。


だが―――街灯の下で間近に見た箱は――先程の感覚を強くした。







「――開けてみて?」
と、優しく…抗えない声で促されて、そろそろと箱を開ける。














「・・・・・・・・?」








箱に納められたモノを見た栄口の表情が―――奇妙に強張った。








顔を強張らせたまま・・・・・栄口の大きな瞳が―――自分の手首を映し――また小箱の中へと戻る。






――細く黒い――その箱に納められた品物



それは――――――





「…探すの苦労したんだよ?」






きちんと収められた物は――――――シンプルな腕時計。


今――自分の手首に巻かれている物と―――寸分も違わぬ・・・腕時計。




「正直…好きなデザインじゃないんだ・・・無骨すぎるし・・・お洒落じゃない・・・。栄口にはもう少し可愛いのが似合うって思うんだけど…」


聞こえた声は…どこか皮肉気な響きがある気がした。


「それに深緑ってどうかな…?俺は栄口のイメージじゃないって思う・・。もっと柔らかくて透明感がある方が似合うって思う―――けど…」



――…しょうがないよね?


と 続いた言葉は嘲りのように聞こえた。





「――ねぇ・・・付けてあげる。腕を出して?」




手を差し出されても動けなかった・・・。
今自分の目の前に起きている事が・・上手く呑み込めない・・。






「・・・水・・谷・・」
「ん?」
「これ・・・あの・・」
「なぁに?」




とろりと返される笑みからは――何も読み取れない。
この異常さを感じているのは――栄口だけのようだった・・。




「―――これ・・・あの・・・・・『同じ』なんだけど・・」


震えそうになる声を何とか明るく響かせようとしたが、擦れてしまう。
嫌な緊張に、手の平にじんわりと汗が浮かぶ…。



「うん そうだよ。だから言ったでしょ?『探すの苦労した』って」


あははっと彼は無邪気に笑う。
その無邪気さに―――ぞっと鳥肌が立った…。




「・・・あ・・そうなんだ・・・でも・・・その・・・・」


どう反応していいのか――分からない。
何と答えればいいのか――・・・。分からない・・・。



ただその時計を見つめて…必死に言葉を探す。



「・・ねぇ付けてみて」
再度優しく促されて、思わず言葉に詰まる。



まったく同じ時計―――
それを知った上で微笑む彼の意図が―――分からない。
狼狽と混乱で何も反応できずにいると、ひやっとした感触が走ってビクリと震えた。



それは水谷の手だった。
大きく、すこし温度の低い手に、手首を捉えられる。


「―――俺が付けてあげるね」


にこりと笑う彼に――抗えない。
強張った腕を強い力で引かれ、そこから時計が外されていく。


「栄口の手首は細いねぇ・・・・・」
彼がくすっと零した言葉に・・・首筋がぞくっと冷えた…。





言葉も身体も・・・何一つ抵抗できないままに、手首に巻かれていた時計は外されてしまった。


彼はそれをポケットに無造作に突っ込むと、今度は―――彼が買った瓜二つの時計を巻き始めた。



「はいっ・・・うん・・可愛い」
水谷が――心底嬉しそうに笑った。



――何といっていいのか・・わからない。
どう反応すればいいのか・・分からない…。

彼の不可解な行動を――――どう受け止めてよいのか分からない・・・。

手首に巻かれた時計は・・・先程と寸分の違いも無い・・・。当たり前だ・・同じものなのだから・・・。
だが彼から送られた時計は―――何故かひやりと冷たく感じた―――。




「これからはそれを付けてね・・ずっとだよ?」
「・・え・・?」


茫然と顔を上げると、とろりと光る瞳とぶつかる。

「―――お風呂と部活と寝る時以外はずっと付けていてね・・・約束だよ」


優しく微笑む彼の言葉に―――ぞっと血の気が引いて行く…。

だってその言葉は―――この時計を一番最初にプレゼントされた時に言われたから・・…。

「みずた・・・」
「付けてなかったら・・・怒るよ?いい?」
軽い声音で紡がれる言葉は―――冗談なのか本気なのか分からない・・。
それどころか、今ここで起きている状態が 本気なのかさえも・・。

悪い――冗談だとしか…思えないのに…彼はどこか『本気』ともとれる言動をする。
その甘いマスクに浮かぶ笑みに…答えはいつだって隠されてしまう。


言葉を探し…考え抜いたあげく 栄口は笑う事を選んだ。




「やっ・・やだなぁ水谷!何の冗談!…あはは」




何とか声を振り絞って笑ったが、眼を合わすことはできなかった。


「―――えっと…話はこれで終わりでいいかな?じゃぁ・・」


震える手で時計を外そうとした―――瞬間


「だめだよ」



低い…今までにない声がした。



「外しちゃ駄目だよ・・?さっき言ったじゃん」
「・・・え・?」
と顔を上げると、そこにはいつも通りとろりと笑う水谷が居る。


「お風呂と部活と寝る時以外…外しちゃ駄目だって」
「・・あはは・・冗談きつい」
そう眼を合わさずベルトを取ろうとすると、





「・・・・・もしそれを捕ったら…コレ捨てるよ」





そう目の前にぶらりと突き付けられたのは―――栄口の時計…。



「俺の時計外したら・・・これ・・川に捨てちゃうから・・」
「・・・はっ?何言って・・・冗談はいい加減に」

「あっそう」

にこっと笑い、水谷は徐にそれを―――川に向かって放り投げた。






「――――――・・・ぇ?」







あまりにも唐突な出来事に―――茫然とする。






「・・・え・・・・う・・そ?」




柔らかく微笑む…その背後に広がる暗い闇を茫然と見る。

…次第に・・震えが立ち上り…何も考えられぬまま、駆け寄る。



言葉を無くして――――・・暗い川を見ていると…







「――――――あはは・・冗談だよ」





彼の面白そうな声が聞こえた。




「ほら・・まだここにある」



そう差し出された手の中には・・・時計があった。





「・・・ッ!」


安堵に…膝がくたくたとなる気がした・・・・。
思わず、その場に座り込む…。

うっすらと浮かんだ涙を慌てて拭いて、相手を睨む。
「・・・もぅ・・・ッ 水た・・」
「でも次は・・冗談じゃないから」

「え・・?」




茫然とする自分とは対照的に、微笑む彼がいた。



「今度その時計を外そうとしたら・・・本当に捨てるからね」
「・・・ッ・・・・水谷・・・どうして?」
「・・?なにが?」

不思議そうに問われて、どう答えてよいのか…わからない。

「なにがって・・・?さっきから・・・わからないんだ・・・なんで・・こんなこと」

「栄口が 好きだからだよ?」

当たり前だと言わんばかりに言われて、ポカンとしてしまう・・・。

正直…意味が分からない…。
何もかもが…理解できない。





「でもさぁ・・・・ぶっちゃけ本当に『要らない』でしょ?これ・・」

話題を逸らし水谷がぷらぷらと揺らしたのは―――栄口の時計。


「・・ッ返して!」
先程の記憶がよみがえり、思わず手を伸ばすとさらりと避けられた。
「だめ」

柔らかく笑んだまま答える彼を遮って更に腕を伸ばす。

「――ッ返して・・ッ返してよ!」

自分より背の高い彼は長い腕を伸ばして、決して手の届かない所へと時計を誘う。
「――水谷ッ!」

必死に背伸びして時計を奪い返そうとするのに、どうしてもそれが叶わない――

その瞬間

「―――ッ」


突如走った刺激に、ひくりと身体が揺れる…。



「・・・・細い腰だね・・・・」



耳元で囁かれて ぞっと背筋が凍った。



慌てて身体を離し逃げた。




「ちぇっ残念―――」
そうとろりと笑う彼は徐に眼を細めた。




「――――もっと抱いていたかったのに・・・」




彼の言葉に・・ガクガク――と震える足を抑える事が出来ない。


――怖い・・・




そう思った・・





「―――どうしてこの時計がいるの?まったく同じものだから、もういらないでしょ・・・」
くすりと笑う彼に

「…ッ・・水谷・・悪ふざけはいいかげんにしてよ」

震える声を隠すことはできなかった・・。

「時計を返して…俺・・もう帰らなきゃ」
「じゃあ 取り返してみたら・・・?ね?」


そう水谷が腕を広げて笑んだ。


「おいでよ・・栄口」
「・・ッ水谷・・いい加減にしてよ!」

かっと頬に血が上る。
へらへらと笑う彼――意図が読めない行動。

「・・・うわぁ・・栄口の怒鳴り声珍しい・・・もっと聞きたいなぁ」
そうとろりと笑う彼は、
「笑う顔も可愛いけど・・・怒った顔も好きだよ…」
と囁いた。
かぁ・・と頭に血が上る。


「もっと怒って・・・?その可愛い顔を俺に見せて・・・?ね?」

「・・・ッ水谷!!いい加減にしろ!!」

自分でも驚くくらい、感情が乱れた。
家でも外でも…これ程感情を乱された事はない…。
栄口はいつだって・・それを抑える役目しかしてこなかった…。

慣れない感情に…どっとストレスが生まれた。
敏感に感じた身体が悲鳴を上げるのが分かる。




「・・どうしても返してほしい?」

優しく問われて・・返答できずにただ視線だけを向けると とろりとした眼がほそまる。



「じゃあ・・・交換条件があるんだ」


唐突に切り出された言葉に、キョトンとした。





「・・・栄口の携帯・・見せて?」



「・・え?」


意味が分からず茫然とすると水谷はとろりと笑んた。

「――栄口の携帯・・俺に見せてよ・・・。そうしたら 返してあげるから」

にこにこと笑う――彼の真意がさっぱり分からない…。
携帯など見て…どうするというのだろう・・?

「・・な・・なんで俺の携帯なんか」
「『栄口の携帯』だから だよ」
くす・・と彼は笑んだ。

「どうするの?携帯見せてくれたら返してあげるけど?」



栄口は思わず答えに窮する。
携帯は――確かに個人情報でもあるけど・・・特に見られて困るものがあるわけじゃない…―――だけど
水谷はただこちらの答えを待っている。

「・・・わかった・・携帯見せればいいんだろ?だから・・」
「じゃあ先に携帯を見せて?」

そうにこりと笑って彼は手を差し出してきた。


「え・・?」
と栄口が顔をこわばらせると

「いいじゃん・・先に見せてよ。それとも栄口は俺が約束を破る そんな酷い奴だと思ってるの?」

――ずるい・・と思った。
そう思うなんて・・・言えるわけがないのに…。


「ねぇ?そう思ってるの・・俺の事」
「そんなこと・・ないけど」
「じゃあいいよね」
にこりっと微笑まれて、もう何も言えなかった。




鞄を探り携帯電話を取り出す。
躊躇い躊躇い…そうして水谷の手に携帯を乗せた。


「ありがとう。栄口はいい子だね」
にっこりと微笑まれたが・・そのニュアンスにぞっと何かが駆け抜ける。

「・・・じゃ・・じゃ時計返して・・」
「あぁ・・・ちょっと待って・・・」
そう答えながらも水谷は徐に携帯を弄り始めた。


「―――俺がいいというまで・・待っていて いいね?」
優しい口調のくせに、抗えない命令が含まれ、栄口は何も言えずに立ちすくしかなかった。





水谷は―――栄口の携帯を弄り始める。
その顔からはいつもの笑顔が消えて 表情が読めない。
暗闇の中で携帯の画面だけが淡く光る。




―――数分して



水谷の顔に――例の笑顔が浮かんだ。



「俺ね」


水谷は軽い口調で続ける。



「すごいヤキモチ妬きなんだぁ」



唐突な言葉に、栄口はポカンとする。



「束縛してないと、安心できないんだよ――だってそうでしょ?眼を離した隙に浮気されたら嫌だし」

水谷の言葉にどう反応していいかわからず、

「あ・・そうなんだ・・・なんか・・以外・・・」
はは・・と笑う。


「そうかなぁ・・でもそうなの。だから携帯とかチェックしないと安心できないんだよね」
「・・・ぅあ?」



「・・うん 完了・・・はい ありがとう栄口」

そうにこりと何事も無いように携帯を返されて拍子抜けしてしまった。
結局彼が何をしたかったのか、栄口には分からずじまいだった。


「あっ・・もう遅いね。そろそろ帰ろうか・・。送ってくよ」
そう歩き始めた彼に、はっとして追いすがる。

「待っ・・待ってよ 時計は・・・?」
「・・・え〜?」
とろん・・とした回答が返る

「え?じゃないよ!時計・・・返してよ!」
そう手を出すと・・・そのとろりとした眼が笑む。


「ああ・・やっぱりアレなし。ごめんね?」
「・・・・・・・・・え?」

栄口は意味が分からず ポカンと水谷を見る。

「やっぱり返すの嫌だから・・・ごめんね」
「そんな・・ッ」
「いこう?そろそろ帰らないと 最悪警察とかに補導されちゃうかも・・・」
「ちょっ・・まってよ水谷!」

歩き始めた彼のシャツを掴む。



「約束が違うじゃん!携帯見せたら返してくれるってそう・・」
「うん・・でも気が変わった」


にこりと笑うその顔に・・・微笑み返せるはずも無かった。


「水・・ッ」
「だって頭にキたから・・・メールも電話も『アイツ』ばっかで…すごくムカついたから」

へらりと笑う声が紡ぐ言葉の意味が――分からなかった・・・。

「・・・・?意味分かんないよ!どうして水谷がムカつくんだよ・・?」
「あはは・・・」

水谷はそう笑って歩みを進める。

「…ッ待ってよ・・時計返してよ!!」

追いすがって、その腕に握られた時計を取り返そうとするが、するりとかわされる。


「――ッ・・・返して!返せってばッ!」
手を伸ばし必死に時計を取り戻そうとする




ぶっきらぼうで乱暴で…それでもきっと悩んで悩んで 選んでくれた時計―――。
長年の付き合いで、始めてもらった贈り物…。


「お願いッ・・返してっ!!」



取り戻そうと手を伸ばし、身体が触れても気にする余裕も無い。
彼が口を歪めてその腰が抱かれたとしても、栄口の腕はただひたすらに時計を求める。



「―――返してよッ!!大事なモノなんだ!!」



その瞬間―――






彼が――――――――――――――時計を手放した。






暗い――闇の中へと…。






橋の下―――深く黒い 世界へと…時計が落ちていく・・・。





手を伸ばし追うが・・・・届くはずがなかった―――





















「―――――――――――――――――――――――・・っ・・ぁ」






時計が消えた暗い闇を見て…ただただ・・・茫然とする。


同時に―――彼の――空になった手を見つめる…



――先程まで…時計が…握られていた筈の 手を―――。


「・・・・・・・っ・・」


つっと腰を抱き寄せられた瞬間―――――張り詰めていたものが切れた。




「――ッ・・・・ぅ・・・・・嘘つきッ!!」






叫びは―――――――――震えた。



溢れる涙を―――止める事が出来ない。







「・・・・ッ・・嘘つき・ッ嘘つきぃッ…!」




子供のように感情が爆発するのが止められない。




「――・・ッ!・・・なんでだよッ!どうして!!」





泣き喚く自分を 水谷がとろりと笑んだあの顔で眺めている。―――それでも止まらなかった。


「返してくれるっていったじゃん!だから俺、約束守っただろッ!なのに・・ッなの・にぃ!!」


彼の胸を叩く。
シャツを掴んで、揺さぶる。

湧き上がる感情に涙が溢れる――・
ぐちゃぐちゃにされた感情が止められない。


脳裏に・・・時計をもらったあの瞬間が甦り

あの彼の横顔を思いだして―――――――――更に涙が止まらなくなる。




「酷い・・酷い・・よぉッ!!」


彼の胸を叩いて
ただ…子供のように泣くしかできなかった。


こんなこと・・何年ぶりなのか自分でもわからない。
感情がぐちゃぐちゃで心も頭もぐちゃぐちゃで・・馬鹿みたいに涙が溢れるばかりで・・。










「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ・・・・・いいなぁ」







なのに・・・彼の・・・・・・そんな声がした。



「栄口のその顔・・・可愛いなぁ・・・このまま撮っておきたいよ」



この空気にそぐわない・・うっとりと見惚れるような声・・・・。




「・・・・・ッい・・・いい加減にしてよッなんなんだよ!!」





カッと腹の中に熱が生まれる。怒りと悔しさと得体のしれない感情に、胸が焼かれる思いがした。



「さっきから意味がわからねぇよ・・・・ッ!!なんでこんなことするんだよ!!・・俺・・ッ・わから・・」


「そんな顔も好きだよ…もっと見せて」


さぁ・・と促す彼に…もう言葉が出てこなかった。
怒りも悲しさも悔しさも通り越して―――――――――涙しか出ない。






「・・・な・・・なんで・・・?」


震える声は・・・そう切に問うた。






「…俺・・・何かした?」


顔を覆い…呻く・・。



「水谷を怒らせるような事・・・・なにか・・・した?」


溢れる涙が・・頬を焼き 口の中を苦くする…。





「――――だから・・こんなことするの・・・・?」





そうとしか…思えなかった…。
恨まれ…疎まれ・・憎まれているとしか…。
だから・・・こんな仕打ちがされるのだとしか・・・・。





「…違うよ?さっきから言ってるじゃん・・・・栄口の事が大好きなんだ・・・だからだよ」




柔らかく笑うその顔は―――そう繰り返す。



「・・・・・栄口が好きで好きで 堪らないんだ…俺は」


とろりと笑む顔も・・・いつもと変わらぬ優しく楽しげな声ですら…―――もう『恐怖』でしかなった。




意味が分からない・・。
理解ができない…
彼の行動も 彼の言葉も 彼の表情も 何もかも…。



「―――ッ・・わからない・・俺わからないよぉッ・・・」



混乱に精神的に限界を迎えた栄口は 顔を覆って…泣き崩れる。



好きだというのなら―――どうしてこちらをいたぶるような事をする?
傷つき、怯えた顔をする度に――どうして嬉しそうな顔をする・・・?

それは―――『憎い』からではないのか・・?

例えそうでなくても―――――栄口にはそう捉えるしかできない…。






・・・・怖い




ただ・・そう思った。

水谷の行動も
笑みも
言葉も
感情も
思考も…

何一つ理解できないから―――怖くてたまらない…。


泣いて訴える自分がおかしいのか…はたまた彼がおかしいのか・・・そんなわかりきったことすらも 見えなくなってくる。


怖い

怖い…

怖い…


水谷が―――怖い



このまま会話をしていると



混乱と切なさと混沌にぐちゃぐちゃにされて




自分が壊れてしまいそう…





身体を震わせ・・・切に願う・・。



この場から逃げたい…

でも走り去る勇気も 強さも―――今は無かった。


怖くて

ただ―――意味のわからない恐怖が体中を支配して 動く事が出来ない・・・。

でも



彼から―――逃げたい・・



ここから―――――――逃げたい



お願い



・・・・・助けて・・・・



ここから・・・連れ出して・・・























「…っ・・あ・・・べぇ・・」














嗚咽に混じり・・・・毀れた名前に

今まで笑んでいた彼の雰囲気が突如変わった――――







「―――――――いいよ?阿部に言っても」






冷たい―――声がした。





「…なんなら今携帯で全部話したっていいよ・・・?そうする?」



自分の携帯を差し出して・・・・彼は唇を歪めた。




「―――でも・・阿部はきっと怒るよね・・・?こんな夜中に俺と二人きりでいたこと・・・」



彼の言葉に…顔を覆ったままの栄口が目に見えてびくっと震えた。






「――それに時計を『捨てられた』って聞いたら・・・きっと怒るというよりは・・・落胆するだろうね・・・栄口に」


「・・・・え・・?」

と…栄口が茫然とする。



「―――だってそうでしょ?せっかく『プレゼント』したのに『大事』にしてくれなかったんだから・・・?」

「・・違う・・俺は」

「―――『違う』?なんで?
俺が捨てたけど…栄口は俺が付けてあげた時・・・何の『抵抗』もしなかったよね?それは時計がそれほど大事じゃなかったからだろ?」
「・・ちがっ」
「ダメだって言わなかっただろ?外しちゃいやだって…。それはそれ程大事じゃなかったってことでしょ」
「違う・・ッ」
「でも阿部はそう思わないと思うよ?だって実際・・・時計はないんだから・・・。ねぇ?」

「・・っ・・・」

「栄口の為に買ってきた時計でしょ・・・?それを大事にしてくれなかったって思ったら…阿部どう思うかな?」
「・・・・ッ」


小さな身体が・・答えを窮して震える。
青白い顔に涙が毀れおちて、痛々しい程に強張る。







「―――――――大丈夫・・・『俺』の時計を付けてればいいよ…」



くすっと・・・水谷が微笑む。




「まったく同じものだもん・・・阿部も気づかないよ…」



ね?




と首を傾げて問われて・・・赤く腫れあがった痛々しい眼が・・・・腕に巻かれた時計を見つめる。



その―――寸分違わぬ時計を・・・・






「栄口は阿部を傷つけたいの?阿部に失望されたい?」

「・・ッ・・・」

「だったら簡単でしょ・・・?『俺』の時計を付ければいい・・・そうでしょ?」





涙が――頬を伝う。
唇を噛みしめて、栄口は顔を覆う。






それを肯定と捕って、彼は心底満足そうに笑んだ。





「いい子だね栄口は―――そういう優しい所…大好きだよ」





***
***
**




―――――――次の日
『はよ』と笑う彼の手首には・・・時計がある。

自分が送った物…。


それを横目に見て・・薄く笑む。






可愛い――栄口

素直で
優しくて
思いやりがあって
人の事ばかり 考えている

優しい子


『彼』を傷つけたくない一心で・・・こちらの条件をのみ
今頃・・・罪悪感と葛藤で心が不安定に違いない・・・。


これから毎日…不安定な事だろう。
『彼』に真実がばれることを恐れて―――眠れぬ夜も過ごすかもしれない…。

きっと体調も崩すだろう・・・・。
栄口は『ストレス』に弱いから・・・。



でもこれは・・・



全て計算されていた――出来事・・・。




栄口は数学が苦手だから――きっと自分の仕組んだ数式には気づけない・・・。





栄口がどう動いてどう考えてどう判断するか・・・――全部分かってた。
毎日見てるし毎日栄口の事しか考えていないから 当たり前――。




栄口を『悪者』にして、相手が『傷つく』ことをちらつかせれば・・・栄口は絶対に自己犠牲の選択を選ぶ・・・。
それが分かっている。




今回の目的は―――時計を奪うことはもちろん・・・
栄口とアイツの関係をめちゃめちゃにしてやることだ・・・。



でも暫くは―――泳がせておく


時計の件で脅せば――栄口はまた可愛い顔を見せてくれるから・・・。


頃合いを見計らって―――アイツに気づかせてやる・・・。


寸分違わぬ時計


だけど―――立ったひとつ 決定的に違う事がある



それは――――印




時計の裏に彫り込んだ





愛しい君へのメッセージ




アイツがそれを見た時が―――――――楽しみだ。






喧嘩になるね・・・
アイツは感情を抑えるのが下手だから きっと君に冷たく当たるよ――
君を捨てるって感情だけで叫ぶかもね・・・・


そうなればいいなぁ・・・・・・



君はきっと傷つくけど・・・

俺が 抱きしめてあげるから

うんと優しくキスしてあげる

誰にも渡さないように・・束縛してあげる・・・


だから栄口・・


忘れないで






俺からは逃げられない


そう・・


永遠に・・逃げられないからね・・?



君が他の誰かを好きになっても―――必ず壊してあげる…。


ごめんね

俺…もう戻れないから








ああ――楽しみだ





壊れていく―――音がする



もうすぐ


もうすぐだね・・・




END





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