グランバニア国内は―――身体を冷やすような 痛い沈黙に包まれていた。
決して音が無いわけではない―――。
粗ぶる風の音も、それに揺れる木々のざわめきも城の中に響いている。
だが―――その音しかしなかった。


多くの国民はいつもと変わることなく存在していた。

警備兵、そしてメイドや料理人…町場の道具屋に酒場 そして民。
―――その誰もが顔を伏せ重く沈黙し・・淡々と己の仕事を続けていた。


―――しかし、ある者は握りしめた箒を持つ手が震え、ある者は床を磨く布に異常な力を込める。
またある者は何度も布巾でグラスを拭きあげているにも関わらず、その数が増えない。


そんな彼らの前を――無言のまま駆け抜けていく王族親衛隊の兵士達。
強張った顔で口を閉ざす その隊長。

微かに殺気立った魔物達。

―――そして 張り詰めた空気を纏う 王族達。

―――民には何も『知らされて』いなかった―――。
だがこの独特の『空気』の『意味』を―――グランバニアの国民達は知っていた。

知っていたからこそ・・彼達は沈黙し、眼を逸らさずにはいられなかった。

なぜなら、この『空気』はいつだって・・・―――グランバニアの『光』が奪われ、『闇』が到来する その前触れだったのだから・・。








光を遮断していく空…。
悲しい悲鳴を上げて吹き抜ける風…。
そして――絶望が浸み込んでいくような冷えた室内…。

年の浅い者は『二度』
年を重ねた者によっては『数回』・・・グランバニア独特のこの『空気』を体験していた。



だから彼達は―――『答え』を察しながらも、『知る』ことを 頑なに拒んでいた。


『希望』が潰え、『絶望』を繰り返すには・・・民達はあまりに傷つきすぎていた。
勇気を絞り出すには傷があまりにも深すぎ・・・ 立ち上がる力も心の強さも 今は湧いてなどこなかった。


彼らの頭の中には――幾度となく巡る言葉があった。



『―――歴史はまた・・・繰り返されるのか・・・―――』









■天空連理 アナザーストーリー■






グランバニア城は――あまりにも静かに…まるで怯える小さな雛鳥のような痛々しい静寂に包まれていた。
緊迫した空気。雲が多く光が遮断された城内からは温もりも消えていた。


だが――その空気が―――突如壊れた。



それは 甲高い女の声だった。



「お・・っお待ちください!どうか御戻りを!」


心底困惑したように慌てふためいた声は、王族傍仕えのメイドのものだった。

「どうかっ!」

切実な思いを含む声は、この異様な静寂に包まれた廊下中に恐ろしい程によく響いた。
同時に声を聞いた全ての者達が 何事か――とその方角へ視線を走らせた―――その時だった。


一際強く――メイドが叫んだ。




「誰か!誰か!―――クラウド様をお止してッ!!」










女の声を証明するように、一人の若者が廊下を歩いてくる姿が見えた。
それは風邪で床に伏している筈の―――王子。


だが―――その姿に誰もが息を飲んだ。


―――『獅子』だ・・・


彼を視界に収めた国民は 皆そう思った。



『金色の獅子』が――来る――




彼からは放たれる激しい覇気は―――瞬時にこの場を支配した。
そして民は 息を呑んだ――。


それは――王子の瞳が『空色』ではなかったからだ。

熱に浮かされて それでも鋭く前を見据えるその瞳―――――――。


グランバニアの民ならば――その瞳の意味を知っていた。


この世界の神―――マスタードラゴンと同じ――――金色の竜眼



それは―――――『天空の勇者 ユリウス』の血を引く者の―――決定的な証なのだった。




彼の瞳に魅入りながらも―――国民は己の脳裏の駆け巡る記憶に喘いだ・・・。


記憶――

グランバニアに綴られてきた―――悲しき歴史。






歴代グランバニア『王』には―――『賢帝』と呼ばれた者が多かった。


人格者であり・・・慈悲深く国民を想い、決して己の立場に溺れぬよう―――冷静に己の姿を見つめることを忘れなかった。
大きな変化を望まず・・・争いを避け、国を守ることを主としたグランバニアは確かに小国であった。が――国は常に安定した治世を築いてきた。



―――だが・・・


長く続くグランバニア国の歴史には―――いつでも深い影が織り込まれていた…。



―――王の傍らに――――『王妃』が存在しなかったからだ。









グランバニア王妃は―――『短命』だった・・・。




理由は誰にもわからない―――。
『運命』と云われれば――そうなのかもしれない。

だが『偶然』――では片付けられないほどに――嫁いだ王妃は皆・・・――数年後には姿を消す運命を辿っていた。


グランバニアには歴代の王達の肖像画が保管されている。だが・・その傍らに王妃の姿が描かれたモノは存在しない。
正確には王妃はまだ少女のような面影を残した姿で描かれているものばかりだった。

それは嫁いですぐに描かれたものだ。
そしてそれが最後の肖像画となるのだった。


時には病―――時には事故―――時には魔物に連れ攫われて―――王妃はグランバニアからその姿を消していった。


―――いつの時代でも、グランバニア王と王妃は中睦まじく 互いを深く愛し慈しんでいた。


だが―――王の愛が深ければ深い程―――王妃は短命だった。





次第に―――こんな言葉が囁かれるようになった―――


王の愛が深い程・・・王妃はその命を削られ―――王の眼差しが王妃を見つめるほど 王妃は血を流す――

『王』に『心』を与えるその代償に―――神は『王妃』を奪うのだ―――。



グランバニアは―――『神』に呪われた国だ・・・



悲しみの連鎖が 終わることは無い―――。









―――事実――グランバニア正統後継者は―――・・・幾度となく冷たくなった王妃の亡骸を抱きかかえ、声が枯れるまで泣き叫んだ――



何故か王妃が無くなる季節は 春が多かった―――
それは神の・・・唯一の慰めだったのかもしれなかった。
花の咲き乱れる季節・・・故に――…いつでも王妃の棺には彼女が愛した花が敷き詰められた。
温かな風の中 花に囲まれて眠る王妃の顔はどれも美しく穏やかであった――



反対にグランバニア王は――深い影を宿すこととなった。
心優しく民を思い、慈しみ―――それでも自分の愛する者を失った事実は――王に消えない『悲しみ』として残り続けた。




残酷な程に繰り返されてきた歴史――それに『終止符を打つ』と思われた新王も―――王妃を奪われた悲しみに耐えきれずこの地を去った。


そう・・・歴史は繰り返されている――――


―――だが・・

と国民の瞳に今までにない強い光が灯る―――その光の『名』は―――『希望』―――・


『今』のグランバニアは―――――神に欺かれる悲しき国では無い。
そう―――神に呪われるはずがない―――

なぜなら――――







見つめる人々の視線の先には――― 一人の青年がいる。


そう―――あの日・・・あの瞬間からグランバニアは――― 『神』に深く愛されたことを『証明』された。



なぜなら――――――


天に愛されし ユリウスの血を引く―――

『勇者』の生まれた国―――なのだから。





**



――鋭い覇気に満ちていた―――。
ひどく整った顔には確かに病魔の影があったが、それ以上に彼から迸る感情が 彼をあまりにも強く 鮮やかに彩っていた。
荒く苦しげに繰り返されるその呼吸ですら―――激しい覇気を宿す獅子の呼吸のように聞こえた。
少しの陰りも無いその鋭い瞳が ここではない遠くを見ている―――。その目元に浮かぶ隈すらも強く彩りを添えているような気がした。



彼の後ろ姿を 蒼白な顔をした数人のメイド達が追いかけてきたが、彼女達の方が弱々しく稚い小動物のように錯覚させた―――
困惑しきった顔をし、それでも声を振り絞ってメイド達は叫ぶ――

「どうかっどうか御戻りを!!クラウド様ッ」

だが彼は――少しも足をゆるめようとはしなかった。
迷いなく突き進む足――消して揺らがない―――瞳。

民達も――知らず打ちに己の拳を握りしめる。

――誰もが・・湧き上がる『想い』を感じてのことだった。

確かに―――自分達には『力』が無い―――全てを受け入れ突き進めるだけの『強さ』もない。
―――だが・・このままでいいのか・・・。声を殺して泣いているだけで・・・?


そんな時―――

「・・・お待ちください・・・クラウド様」

 一際深く、静かな声が廊下に響いた。

…今まで進められていた足が止まる。
少しの沈黙の後―――静かな声で返答が返った。



「・・・・・―――…『止める』のか?…サンチョ」




廊下に響いた声は、普段の彼とはあまりにも異なる、低くしゃがれ擦れた声―――。


問われた方は・・・僅かに沈黙した。――そして


「―――いいえ」

と静かに答えた。

そして


「…―――サンチョはご幼少の頃からクラウド様を見ております…。だからお止できないことも…もう分かっております」


続けられて声は・・次第に震えていった。

「それに…サンチョは…―――アルマ様の事を思うと・・・今でも胸が張り裂けそうなのでございます…。
サンチョは我儘でございます。
クラウド様のお身体も心配です――でもアルマ様の事も死にそうなほどに心配なのでございます…」


――ですから・・

とその声は続く



「―――アルマ様を無事に御救いになり、すぐにお戻りくださいませ」


「・・・そうです・・クラウド様どうかアルマ様を御救いください」

震える――だかはっきりと響いた声に、金色の竜眼が振り返る。
そこには数人の国民がいた。
皆顔色が青白い――だが瞳には強い色を浮かべている。

「私達は何もできないかもしれません―――でも・・でも」

国民は竜眼に訴えた。





「アルマ様のご帰還を―――祈っています」




―――今までは『祈る』ことすらも・・・できなかった。

『祈り』は『神』に対して願うことだからだ―――。
グランバニアは『神』を恨んでいた―――心の奥底でいつでも…。


幾度となく繰り返される歴史―――それに何の慈悲も施してくれない『神』に 祈ることなどできなかった。

だが―――今は違う


――ーそう・・今は 


彼達の真摯な瞳に――ふと その金色の瞳が優しい空色へと澄んだ・・・




「――――ああ・・必ず」




獅子のような顔が―――微笑んだ。






「――では・・」
と サンチョのぽっちゃりした顔には笑顔が浮かぶ。
その手には―――彼愛用の青色の旅服が抱えられていた。

「――まず、お召し変えを…。その姿で出ていかれたら またお熱が上がってしまいますからね」


**
***


――ドリスは唇を噛んで、聳え立つチゾット山脈を仰ぎ見た。
同時に暗い空が眼に入る。

不気味な風がチゾットの岩壁を叩きつけ、鉄の匂いを混ぜて地上へ吹き抜ける。
風の匂いがする度に、ぞっとドリスの首筋は逆立った。

チゾット山脈の麓に集結した兵達は 皆不安で強張った表情で指示を待っていた。


少し離れてい場所には、クレイトとピエールがいる。

「…チゾットに…間違いないでしょう」
そう言ったのはピエールだった。彼の言葉にクレイトも頷く。

「チゾットの崖は、グランバニアからもそれ程離れていません…それに身も隠しやすく 移動もしやすい…」

クレイトの言葉に頷いて、ピエールはその岩肌を眺める。

「計画性から考えて・・それほどの『大物』とは思えない…しかもそれ程腕が立つとも…。ここからそれ程離れていない岩場で身を隠し、アルマ達を待っているのでしょう…。
まぁ・・それ程頭も悪くないと思われますから・・『洞窟』の中ではなく、開けた場所…それもキメラの翼を使う為に『空』が見える場所に居る可能性が高いですね」

――二人の言葉に頷きながらも、ドリスは絶望的な顔でその岩肌を見上げた。

――だからと言って…これ程の巨大な崖のどこを探せば アルマにたどり着けるのだというのだろう・・・?
洞窟は魔物の巣窟―――崖も急で足場も悪い・・・。それだけでも捜索は困難だというのに…



時間がない――




ドリスは呻く――

賊は…すでに交渉を始めているのかもしれず―――アルマはその交渉に頷いているかもしれない…。
グランバニアの民 二人を人質に捕られた状態で アルマがそれを拒むとは考えにくかった。
――魔法で抵抗することも しないだろう―――王妃ビアンカもそうだった。

『人間』を傷つけることは『恐ろしい』―――故に…拒む。


だから――こんなことをしている場合ではない。
一刻も早く賊を捕え アルマと民を助け出さなければ―――だが、兵を動かすのもまた――怖かった。
賊は何処でこちらを見ているかわからない――― 万が一こちらの動きが全て読まれていたとしたら―――奴らはなりふり構わずアルマを奪う為にキメラの翼を使用する可能性がある。


――グランバニアの民 二人 そしてアルマもろとも姿を消す――。

それが 一番最悪な展開だった。

ここで姿を消されたら―――後を追うのは容易ではない…。

知らずうちに、冷たい汗が額を流れる。
決して気温は寒くないはずなのに―――身体が芯から凍えていく。

時間がない―――それは分かっている――が なにが一番ベストな選択なのか…ドリスには分からない・

兵を動かすのも怖い
だが――単独で動くにはあまりに広く 時間が無さ過ぎる。
でも何もしないことも焦りを増幅させていくだけ――――判断ができない。



――どうすればッ…


唇を噛んだ―――その時だ―――


兵が突如ざわめき、その場で慌てた様に膝を着いていく・・――突然の事に、ドリスは驚いて視線を上げた―――







「―――クラウド・・?」





ドリスはうろたえた・・・・。

クラウドには今回の件は伝えていない。決して伝わらぬようにと諫言令をしいた。
なぜならクラウドの体調は今――最悪の時だと知っていたからだ。

「―――クラウド・・ッあんたこんな所でなにをしているの!?」


「―――それは・・こっちの台詞だッ!!」

更に強い声が返ってきて、ドリスは立ち止った。
同時に隈の浮いた鋭い視線がドリスを激しい感情を宿して睨みつけてきた。

「――どうして黙っていたッ・・・?」

鋭い問いにドリスは何も答えることができなかった。
クラウドの感情は止まらない――更に強い声が響いた。

「アルマが城を出た―――それをどうして俺に黙っていたのかと聞いてるんだッ!」


「――だって・・・あんた・・熱が」
「それが・・どうしたッ!!」

いつになく感情を乱したクラウドの声が辺りに響いた―――が、ドリスも爆発した。

「何いってんのよ馬鹿っ!!あんたこそ冷静になりなさいよ!!!」
ドリスの眼には涙が溢れ毀れた。

「――−ッ!!!あれほどの高熱が出ていて動かせるわけがないでしょ!!いくら『勇者』だからってあんたも『人間』なのよッ!!!それくらいわかりなさいよ!!」


ドリスの眼からポロポロと大粒の涙が毀れ落ちる。
唇を噛みしめても、嗚咽で声が震える。

「いくらアンタが『天空の血』を引いていたって 『病気』には勝てないじゃない!!病気にはなんの恩恵も無いじゃない!!!」
ドリスは叫んだ。
「無理に動いて悪くなったらどうするの!!これ以上熱が上がったらどうするの!!馬鹿っ!!!」

――だって彼女もそうだった。
最初 医者は『風邪』だと診断した。
栄養のある物を取って身体を温めて、薬を飲めばすぐに治るといった。

なにより彼女は天空に愛されし者だから・・・きっと神の御加護があると・・いった。


だけど
だけど

彼女は―――




「なにが『天空の血』よ『勇者』よ!!どんなにすごくても病気になったらアンタなんてただの『ガキ』なんだからッ!!」


「――クラウド…」
そんな二人を制したのは静かなピエールの声だった。

「・・・正直・・・来てくれて感謝しています――アルマがここに居ることは分かっていますが・・・何処に居るのか皆目見当がつかない状態です―――
グランバニアの国民二人も人質に取られているとみていいでしょう・・・だからこそアルマは『動けない』はずです――」

ピエールの声が 微かに揺れた。


「『私達』では――時間が掛りすぎる…アルマを救うために―――あなたの力が…必要です」


涙を溢れさせながらもクラウドを睨みつけていたドリスも唇を噛む。
そう―――ピエールの言葉通りだ。
自分たちでは時間がかかりすぎる―――それは分かっていた。それでも―――


ピエールの言葉を黙って聞いていたクラウドは 不意に苦しげに深く息を吐いた。

――そして


「―――クレイト そしてピエールは ボクの後に続いてくれ・・・」

クラウドは不意に剣を深く握りしめた――。

「―――アルマの居場所が・・・わかるの?」
そう問うと、クラウドはその熱に浮かされた瞳を 微かに細めた。
「―――いや・・・『感』だ・・・だが」

クラウドは 地面を強く踏み締めた。


「――――――――必ずアルマの元へ辿り着いてみせる」


同時にクラウドが静かに 呟いた。





「―――ドリス・・・ボクの身体を心配してくれて ありがとう―――・・さっきは怒鳴ってごめん」



クラウドの静かな声に―――


「―――いいのよ・・べつに」

とドリスも鼻をすすって微かに笑んだ。



**

クレイトは―――茫然とし――同時に苦笑した。

『天空の勇者』の凄まじい戦闘能力を 目の当たりにしたからだった。

魔物の巣窟である洞窟…――言葉通り足を踏み入れた瞬間から魔物の襲撃は止まない――が――それをもろともせず、道を切り開くその剣の腕はあまりにも見事だった。
巧みに魔法を操り、背後に忍び寄る魔物も見過ごすことなく葬るその剣術と魔法のセンスは・・あまりにも鮮やかで兵士はおろか、自分すらも茫然とするほどだった。
同時に駆けあがるその足は、風邪を患っているとは思えぬほどに力強く 早い――。
これ程の崖を駆けあがりながらも 息一つ乱さぬその姿には――ただただ茫然とさせられ、感嘆するばかりだった。

それに続くピエールもクラウド同様見事な腕で、踊るように鮮やかに道を切り開いていく――。
その遥か後ろを自分を含め兵士達が必死に駆け上がる姿がどこか滑稽に感じたほどだった。

(・・・――当たり前だ…クラウド様は『天空』に認められたお方―――伝説の勇者ユリウス――なにより・・・あのビアンカ様の血を継いでおられるのだから)

目の前の敵を切り裂きながら、クレイトは内心呟く。

(…――私は…いや、グランバニアの民はクラウド様の光・・そしてアルマ様の優しさに いつでも守られている・・・)


二人の後ろ姿を追いながら、クレイトは唇を引き締める。


(・・・もう・・失わせはしない・・・二度と)






ドリスは聳え立つ崖を見つめ唇を噛んだ。
ドリスはクラウドと共には行かなかった。

――万が一敵が下降するのを食い止める為に入口に待機していたのだ。

正直―――ここで待つだけというのは辛い…。
だがこの役をやれるのはドリスしかいない事も確かだった。
悔しいが、あの三人ほどの体力も力もドリスにはなく――あの三人ほど冷静に対応する自信も今は無かった。

――きっとアルマの姿を見ただけで…心が折れてしまうかもしれない。


ドリスは唇を噛んだ。


――強くなりたい


そう拳を握りしめる。


もう――大切なモノを失わずにいられるように―――強くなりたい。

**


暗い洞窟を掛けがる途中―――突如、僅かにクラウドの身体がピクリと揺れる。
同時に鋭い瞳が 何かを見つめ見開かれる。


「――ピエールッ」
「――承知しました」

それは阿吽の呼吸だった…。
クラウドの僅かな言葉で何かを察したピエールが頷くと、クラウドは一気に速度を上げ崖を跳躍していった。


「クレイト隊長!」
クレイトは兵を止める。

「どうされました?何かあったのですか?」
「――アルマが・・」

クレイト・・・そして兵士達の顔色が変わる。
「――クラウドが今向かいました――我々は頃合いを見て突入します」



**


**



――寝室。
帰還したクラウドは再び熱が上がり、大きなベッドで横たわっていた。
彼が横たわるベッドの脇に、ちょこんと座ったアルマが居る。

寝室の空気は―――息苦しい程の沈黙に包まれていた。

アルマは視線を上げる事が出来ずに、ただ俯いていた。

だってこの『空気』で分かる―――。


クラウドは―――怒ってる。



クラウドは早く休んだ方がいいと思う・・・。
けれど・・・この空気はアルマの退席を許していなかった。



何か声を掛けようと思うものの―――何を言えばよいのかアルマにはわからない。
だからただ身を縮め、クラウドの言葉を待っているしかなかった。

――どれほど時間が経ったのか・・・




「・・・・まったく」


と・・・ため息交じりの 独り言のようなクラウドの声が聞こえた。



「…アルマから目を離すと―――いつもこうだ」



それは返答を求めているようでは無かった――が、込められた感情にアルマは無意識に身を竦ませた。
息が――微かに苦しい気がする。
―――・・クラウドが苛立っているのが・・ひしひしと伝わってくる。


「…――『風邪』を移したくないから離しておけば …結果がこれだよ―――」


クラウドの声が 突然がらりと変わった。



「…――――言っとくけど・・ボクは怒ってるからね」



それは今までに聞いた事の無いくらい―――低く、苛立った声だった。
思わずアルマの身体が――ビクリと震えた。


―――怖い・・

これ程までに怒っているクラウドを見たのは――初めてだ。

はぁ・・とクラウドが更に溜息を吐いた。

「―――まったく・・・今日は厄日だ。
せっかく熱が下がりかけていたのに、また上がったし…喉は痛いのにアルマに言いたいことだらけだから 口も止まらないしね・・・」

顔を顰め、咳き込む音が聞こえてきて、俯いたままアルマは泣きそうになった。
白く強張る手をぎゅっと握る――。




「・・―――・・・・ごめんね・・・クラウド」



やっと云えた言葉は――それだけだった。
本当に本当に――申し訳ない事をしたとアルマは思っている。
風邪で一番体調が辛い時に――クラウドは助けにきてくれた。そのおかげで 全員事なきを得た。
けれどクラウドは体調が悪化して――こうして床に伏している。――本当に申し訳なく、心配な気持ちで心が苦しい。



だが――


「―――そんなことしか・・言えないわけ?」

「・・・え?」

クラウドから思いもよらない冷たい返答が返ってきて アルマは茫然とした。
思わず顔を上げるが、クラウドは視線を合わせようとはしない――。


「・・・え・・・えっ・・・と」

何かを言わなければ――と思うのに頭が真っ白になってなんの言葉も思いつけない。
ひんやりと汗が浮かんだ手を・・ギュッと握り込む。

クラウドが怒ってる。
とてもとても・・・怒ってる。

それが―怖い程に伝わってくる。

湧き上がる切ない想いに心が壊れそうになるのに、アルマの唇はまた同じ言葉を云うしかできなかった。




「・・・・・・・・ごめんなさい」



「――それはもう聞いたって 云っただろ・・」
「・・ッ・」


クラウドの空気がいつもとは違う――・
温かな笑顔も 優しい空気も無い――・
アルマの方に見向きもせず、怒りを露わにしている。

本当に怒っているのだ・・・と分かるのに。
それでも――アルマが今この場所で思い付く言葉など 少ししかなかった。


「――あ・・あのね・・私・・クラウドを困らせるつもりは・・・」




「――へぇ?・・・・アルマは、どうしてボクが『こんなに怒っているか』 わからないんだ?」


はっと・・クラウドが鼻で笑うのを感じた。

「・・ふ〜ん・・そうなんだ」

「・・あ・・・・・・ぇっと・・そんなこと・・・」

アルマは慌てた。
クラウドが怒っているのは分かる…。
とても苛々しているのもわかる。
だから何かを言わなくてはならないのに――その大切な『何か』がどうしてもわからない。

「・・・・アルマ・・ボクとの『約束』を言ってみて?」
「・・・え?」
唐突に問われて、アルマはキョトンとした。
「早く」
「・・え・・あ・・・・えっと」

アルマは必死に記憶を探った。
クラウドとの『約束』ごとはいっぱいある―――けれど、どれを答えればいいのか咄嗟に思い付けない。

クラウドは何も言わず アルマの答えを待っているようだった。


「・・・あの・・・えっと・・」
「早く」

冷たい口調で催促され、アルマは泣きそうになった。


クラウドの傍を離れてはいけない事?
知らない人について行ってはいけない事?
暗い所へ行ってはいけない事?
―そこまで思い出して、アルマはようやく本日一番大切だった『約束』を思い出した。




「…――『何があっても 一人で行動しない』こと・・・?・・」


「で?」
・・で?なんだろう・・?という感じでアルマは恐る恐る顔を上げた。


「―その『約束』を アルマはしっかり破ってくれたわけだよね」


今までになくきつい声で云い放たれて、アルマの顔が瞬時に青くなった。




「・・それは・・あの」

「言い訳は聞きたくない」



突き放すような声が聞こえた。



アルマは手を握りしめ、俯いた。
涙が溢れそうになって 何とか耐えようと唇を噛む。

鼻の奥が――ツンとする。目頭が熱くて 胸が苦しくて泣きたい。
でも・・・泣いちゃ駄目だ。


「――ッでも・・でもねクラウド・・仕方がなかったの!」

気が付いたら今までになく強張った声が毀れてた。


「――仕方なかった?なにが?」

クラウドが眼を合わさずに 冷たく続けた。
クラウドの姿に――胸の奥がズキッと唸った。同時に――胸の中が熱くて苦しいものでいっぱいになって、それを吐き出すようにアルマは口を開いていた。

「だって・・・だって・・!誰かに言ったら―――エレナさんが危なかったんだもの!」

「―――――――その時点で判断ミスだ―――アルマは『誰か』にその事を伝えるべきだった」
クラウドが・・冷たく言い放つ。



「――アルマ一人で――何ができる?」




あまりの云いように、ガタッとアルマが立ち上がった。

「――ッ・・私にもできるわッ!」



涙が毀れる――止めようとしても止まらない。

「私にもできるもの!!」

気が付いたらそんな言葉が出ていた。

――だが・・クラウドは心動かされた様子も無く はぁ・・と酷く苛立だしげに溜息を吐いた。

「・・・・・『できる』って?なにをできると思ったんだ?――アルマが『犠牲』になってエレナを助ることか?」

クラウドは――冷ややかに言い放った。
アルマはポロポロ毀れる涙をぬぐう事も出来ず、ただ訴えた。

「違うわ!『犠牲』じゃない!私 たくさん考えたもの!皆が助かるようにって その為にはどうすればいいかってッ!」

そう、たくさんたくさん 考えた。
ドリスの事もクラウドの事もサンチョの事も・・もちろん自分の安全も考えた――。
アルマなりに 必死に作戦を立てたのだ。

だが――アルマの訴えを聞いたクラウドが嘲るように笑った。

「・・・へぇ?そーなんだ・・それでその結果が『コレ』なわけ?」
「・・・ッ!」
クラウドは冷ややかにアルマの頬に視線を移した。傷は綺麗にふさがっていたが、そこはアルマが傷を負わされた場所だ。


「あの瞬間――ボクが・・ピエールが、クレイトが居なかったらどうなっていたと思う? アルマは無駄な負傷をした揚句エレナと連れ攫われて――ロイルは殺されていた――誰一人助かっていない」

「・・・ッ・・・・!」




「・・・・・アルマは・・・『子供』だ」



クラウドが 冷たく言い放った。
「・・ッこ・・子供じゃないわ!」

アルマは咄嗟に反論したがそこには酷く冷たく、厳しい顔をしたクラウドが居た。

「・・『子供』だよ・・・。アルマ・・・君の勝手な行動の為に・・どれだけの人が心配し、駆け回ったと思っている?」
「・・・ッ」
「君の判断の所為で――国中がパニックに陥った――国民は『歴史が繰り返される』と怯え、ドリスや兵は『心』に新たな『傷』を負うところだった。」
「・・・ッ」
「――アルマは大切な事を忘れている。君は『王族』だ――君の身体・・その存在・・・・そして命が汚され失われることは――どれほどの『意味』を持つのか自覚しなければダメだ」
「・・・ッ」
「・・だいたい・・・『人』を救うというのは・・簡単な事じゃない。『綺麗ごと』だけじゃない・・・ましてや。『自分』の身が守れないなんて論外だ―――」
「・・・ッ」
「『自分の事を犠牲』にしてしか相手を救えないなら――そうとしか考えられないなら――人を救う資格は無い!」


強く――厳しく言い放たれて アルマは思わず押し黙った。


胸が・・・張り裂けそうになる。
握りしめた手が――震える。
泣きたくないのに…涙が溢れる。
クラウドの言葉に胸が痛い

クラウドの言葉は――正しい。
アルマは子供で・・・判断が甘く、たくさんの人達に迷惑を掛けた。
どれほどの兵士が駆けまわり、叱責されたのか・・
どれほどの国民が傷を抉られ 声を殺して泣いたのか
ドリスが
オジロンが
サンチョが―――どれほどに心配し、悔んだのか・・・・アルマには知る術は無い。

そう――アルマは馬鹿だった。
子供だった。
無力だった
判断が甘かった――

分かってる。
分かってる
分かってる。


全て クラウドの云う通りだと わかっている

――でも

それでも


胸に溢れた――『子供』のような言葉が止まらない。



「・・・ち・・違うもん!そんな風に思ってないわ!―――いっぱい いっぱい・・・・どうやったら上手くこの事件を解決できるかって 考えたもの!!」
「エレナさんの事もロイルさんの事も私の事もちゃんと考えて、最後にはちゃんとピエールに報告して・・・ッそう考えたもの!」


そう
たくさん
たくさん
アルマなりに考えた。

頭をフル回転させて いろいろな本の内容を思い出して 必死に計画を立てた。


そうまでして―――『自分だけ』で何とかしようと思った。その 『本当の理由』は――


「・・・ッて ・・・」


「・・・だって」






「・・・―――――ッ・私、クラウドに褒めてもらいたかったんだものッ」








クラウドに心配かけなくなかった―――。熱で苦しんでいるクラウドに 迷惑をかけなくなかった。
――なにより、自分で解決したら――クラウドが褒めてくれると思った。

無事にロイルとエレナを救出してから、報告したらきっとクラウドはとても驚いて、褒めてくれると思った。
いつもいつも――アルマはクラウドに守られてばかりだから。
クラウドの背に隠れて、守ってもらってばかりだから・・・。

だから――アルマはクラウドに認めて欲しかった。
アルマもきちんと勉強して強くなった事。
たくさん考えて、人を守れるようになったこと。

頑張った事――

ただそれだけを・・・・・褒めてほしかった。



ボロボロを涙を零すアルマに クラウドは一瞬沈黙し それから大きなため息を吐いた。




「・・・・・。アルマにとっての『ボク』って・・そんな『男』なの?」




言われている意味を図り兼ねてアルマは涙を零しながらキョトンとした。

「――アルマを危険な場所に行かせて、危険な行動を捕らせて、あげくに賊も討ち取ったら喜ぶ・・・そんな男だと思われてるなんて・・ショックだよ」
「・・・ッ・・そんなっ」
とアルマは声を上げたがクラウドはそれを遮る。

「――アルマが悪いんじゃない・・・そう『思わせたボク』が悪いんだ・・・自分で自分が嫌になるよ」

クラウドは本当に憎悪するように天井を見つめた。

「・・ッ・・ち・・違うわ・・そうじゃないの!――・・えっと・・一人でもちゃんとできるって そうしたらクラウドも安心してくれるって」
「だからそう言うことだろ?アルマはボクの事をそういうことで『安心』する男だと・・思ってるってわけだろ?」
「ちがうわっ・・私はただ・あぁ・・上手く言えない・・・・」
アルマは必死に言葉を探す

はぁ・・と一際大きく クラウドは溜息を吐いた。


「――…・・・ いっそアルマを閉じ込めておく方がいいかな?」



熱に浮かされた空色の瞳が微かに陰る。

「・・・どう思う?アルマ」


低くく囁いて、クラウドの手がアルマの首を軽く包んだ。







返答を返せず、困惑したアルマの瞳がまるで子犬のように不安げに揺れる。
クラウドは微かに力を込め、アルマを引き寄せた。

「・・いい加減―――うんざりなんだ。ボクとの約束を簡単に破られるのも、ものすごい『勘違い』な解釈をされるのもね」


アルマの眼の前に…いつもとは違う 空色の瞳がある。




「――正直――ボクはそうしたいよ・・・」

クラウドから毀れた声は 風邪とは違う低い音が混じる。


「・・・今日からそうしよっか?――小さな部屋を一つ用意してそこにアルマを閉じ込めておこうか?
鍵はボクしか持てないようにして、そうだな・・アルマのこの腕には・・」
とクラウドはその腕に口付ける。

「勝手に歩いて行けないように―――鎖をつけようか?」



冷たく続く声に、アルマの顔が更に不安に揺れた。





「――まったく」



――不意にクラウドが微かに苦笑した。



「・・・・・アルマには振り回されたばかりだ」



先程は違う優しい声音と同時に、その指先がアルマの頬を引き寄せた。

「…昔からそうだよね…アルマは大人しい顔をしてるのに・・・いつでもボクを振りまわして困らせてばかりいる」
クスクスと困ったように笑んで、クラウドはアルマの頬を撫でる。

「―――――そんなに可愛い事を云うなんてズルイよ・・・怒れないだろ?」

アルマの目がキョトンと丸くなる。

それに優しく微笑みながら クラウドはその頬を愛おしげに撫でる。

「はは・・あんまりお説教すると可哀想だから・・ここでやめておく」

それよりも―――
とその顔がいつも通り笑む。

「・・・ずっと我慢していたけど…今気づいたんだ―――むしろ『アルマが寝込んでいてくれていた』方が ボクは楽かもしれない」

苦笑すると同時に、微かに熱い 唇が重なった。


離されたと思ったが 思いのほか強く手を引かれ、いつの間にか天地が逆転していた。
背中にはベッドの柔らかい感触。
そして視界いっぱいには――優しく・・ちょっと意地悪く微笑むクラウドの顔。



「―――今回・・ボクも我儘言わせてもらうからね」


悪戯っぽく その瞳は笑む。





「………・たくさん キスさせて」





**
***



「ちがうわ!アルマ・・!こうよ!こう!」
「え・・っ・・えっとこうかしら!」
「そうそう!そんな感じよ!」

身体を密着させて、ドリスは手取り足とりご満悦にアルマに手解きしていた。
「それで、こういうときはこう」

「・・・――ドリス」

不機嫌な声が聞こえてドリスは顔を上げた。
そこには不機嫌さを隠さない クラウドが立っている。

「あら・・もう体調はいいの?もう少し寝てればいいのに!」

にかっと笑われて、クラウドの唇がひくりと動く。

「あいにく・・『誰かさん』の事が心配で寝込んでいられない」
「ふーん」

とどこ吹く風で答えて

「あっ・・アルマここはね」

手取り足とり教えるドリスの姿を見て、クラウドが露骨に顔を顰める。

「・・なに?」
「・・・身体が近すぎないか?そんなに密着しなくても手ほどきできるだろう?」

アルマの腰に手を掛けていたドリスは はぁ?と目を剥いた。

「全然?このくらいがちょうどいいのよ!女同士だし別に問題ないわ!ねぇアルマ」
「うん!・・見てみてクラウド 今ドリスにね こんな技を」
といってアルマは構える。
「そうよ!アルマ筋がいいわ!もしクラウドが変な事をしようとしてきたら 問答無用で使っていいからね」
「・・・・・」

ひくり・・とまたクラウドの唇が動く。

「ふふ クラウド 私ドリスに教えてもらってうんと強くなるわ!」
可愛く微笑むアルマに、クラウドははぁ・・と溜息を吐く。


「・・・――あの時閉じ込めておけばよかったかなぁ」

とういうクラウドの独り言は 二人の耳には届かなかった。



END

今更ですが天空連理のアナザーストーリーでした。



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