「クラウド・・・大丈夫?」



大きな海色の瞳が不安げに揺れる。
それに優しく笑んで答えても、その小さな顔はまだ不安気な表情が消えなかった。


――いつもと立場が逆だから、こうして自分を案じるアルマの姿はひどく新鮮な気がした。


(―――――可愛い・・・・)



ぼんやりと霞む頭で―――そう思考する自分に内心苦笑する。


だが――火照った体と痛む喉…おまけに身体はすこぶるダルイ…。
頭も痛く、目を開けてるのも辛いから あながち喜んでばかりはいられない。


――思わず はぁ・・と息苦しい溜息を漏らすと、アルマが慌てて覗きこんできた。

「どうしたの?大丈夫?辛い?」

アルマは今にも不安で壊れてしまいそうな顔をする・・・。
そんな彼女の顔を視界に収めて、――ああ・・と彼は思った。


―――何年ぶりだろう・・。アルマのこんな表情を見るのは…。


「・・そうだ・・。あのねクラウド・・・ハチミツレモンを作ってきたわ・・飲める?」


問うように首をかしげたアルマに、微笑んで頷いた。


風邪をひいた時には『はちみつレモン』
これは子供の時からの決めごとだった。

どちらかが風邪で寝込むと、必ず作り こうして相手に飲ませる。
それは病気を治す為の不思議な『おまじない』のようなものだった。

始まりは母――ビアンカからだったと サンチョが教えてくれたことを 懐かしく思いだした―――。

額に載せられた布を取って、ゆっくり身を起こすと アルマが慌てて枕を背中に当ててくれる。
そしてぬるくなった布の変わりに湯気の立ったカップをクラウドに差し出した。


「すこし冷ましてあるから、一気に飲んでも大丈夫よ?でも・・ゆっくりね」
優しく労わりが滲む言葉に微笑みながら頷いた・・。


カップに口をつけて、はちみつレモンをゆっくりと喉に流し込む。
すると あれほど痛んでいた喉が急に楽になったような気がした。


「―――おいしい・・アルマは母さんに似て 料理が上手だよね」


毀れた声は、自分のものとは思えぬほど低くしゃがれ擦れている。

「――本当に酷い声だな・・・自分じゃないみたいだ」

思わず苦笑すると、アルマもようやく緊張が解けた様に柔らかく笑んだ。

「ふふ 本当ね・・まるでクラウドじゃないみたいだわ…。不思議ね」

また互いに微笑みあってから、クラウドはゆっくりと温かいはちみつレモンを飲み干した。

「…ありがとう とてもおいしかったよ」

アルマにカップを渡し、クラウドはまたベッドの中に身を滑り込ませた。
すると アルマがその額に冷たい布を乗せてくれる。
ひんやりとした温度が不思議と胸を安堵させて、クラウドは無意識に瞳を閉じていた。


身体が燃えるように熱いのに・・――酷く寒い。
空気を通す度に喉が痛くて――喋るのも辛い・・
熱の所為か眼も不必要に潤み、視界もぼんやりとするからこうして目を開けていることさえ困難で出来やしない・・。


内心溜息を吐きながら――同時に苦笑する。


「・・・まったく・・・・・・・『夏風邪』なんて 情けないな・・・。」



独り言のような呟きには、優しい返答があった

「そんなことないわ・・。きっと疲れが溜まっていたのよ・・。最近のクラウドはとても忙しそうだったもの」

瞳を開けることができないから、アルマの柔らかい声に耳を傾ける。少しして心地よく柔らかい温度の指が、そっと自分の手を包む感触がした。



「―――ゆっくり休んで・・今は何も心配しないで」


アルマの優しい囁きに、クラウドは瞳を開けどこか困ったように笑む―――そしてそっと腕を伸ばして、アルマの白い頬に触れた。



「・・・困ったな・・―――今、すごくアルマを抱きしめたい」


クラウドの小さな呟きが聴こえた。

同時に、熱に潤んだ力の無い眼が・・アルマをじっと見つめる。


「――病気になると…なんだか弱気になるのかな…。今すごく―――アルマを抱きしめたい…」


クラウドの熱の籠った言葉に、アルマは優しく彼の火照った手を握る。
その手を優しくすり抜け、クラウドの指がアルマの唇に愛おしげに触れた。


「ダメだって・・・わかっているのに・・・今すごく―――アルマにキスしたい」


「――クラウド」

アルマの手が優しくクラウドの指に触れる。



「・・・・駄目だね…。今のボクはアルマの優しさに甘えて―――ものすごく我儘を言ってしまいそうだ・・」


くす・・・と困ったように笑み、クラウドはアルマに触れていた手を名残惜しそうに離す。



「―――…少し寝るよ…。
このままだと・・ボクはアルマを離してやれそうにないからね・・・…・。」






■天空連理 T■




――部屋を出て、アルマはふぅと静かな息を吐く。


クラウドの傍にいたいけれど―――クラウドの言う通り今は離れていなければならない。
クラウドがアルマを心配し、あのように言ってくれたその思いがアルマにはわかるからだ。

アルマは昔からあまり体が丈夫では無く、風邪もひきやすかった。
これで万が一看病していたアルマが体調を崩しでもしたら、―――クラウドがとても気に病む・・それは容易に想像できる。



そうだとわかっていても、切ない…。

もっとクラウドの為に――何かしてあげたい・・・という想いにアルマは瞳を伏せる。

その時―――



「―――おや・・アルマ様」



声を掛けられて顔を上げると、そこには柔らかく笑んだサンチョが居る。
その腕には大きなマグカップと薬が乗ったお盆を持っていた。


「――クラウド様のお加減はいかがですか?」

アルマの様子にサンチョは優しく問うて来た。

「―――ええ・・。今はちみつレモンを飲んで眠った所よ・・・・でもまだ熱も下がらないし・・・身体もだいぶ辛いみたい・・・。」
アルマが切なそうに呟くと、サンチョはにっこりと微笑む。

「そんなお顔をされなくても大丈夫ですよ。何と言ったってアルマ様の『はちみつレモン』を飲まれたのならば、すぐに治ります。
元々クラウド様は身体がお丈夫だし・・。きっと今までの疲れが出たんですよ――暫くゆっくりお休みになるいい機会です」

サンチョの言葉にアルマも微笑む。

「そうね・・クラウドはずっと忙しかったんだもの・・・サンチョの言うとおり暫くゆっくりしてもらった方がいいわね」

はい・・と大きく頷いた後、不意にサンチョがくすくすと笑った。

「どうしたの?」

アルマがキョトンと首を傾げると


「いえね・・・実はクラウド様は『三年に一度』…こうして必ず大風邪を引くんですよ」


サンチョの言葉に、アルマは目を丸くした。

「そうだったの?」
「――ええ 子供の頃からですよ。いつもは病気一つしない本当に丈夫で健康なお身体なんですけどね・・・『三年に一度』 こうして寝込まれるんです」

―――そう言えば・・とアルマも思い出した。

確か…アルマの子供の頃―――それも三歳くらいの時にも、クラウドがこうして熱を出したことがある。
その次は―――確か六歳の頃だ・・・。



その数十倍もアルマの方が風邪を引いてしまっているから、ついつい忘れがちになってしまっていたが・・・。


「―――実は坊っちゃ・・・・いえ、お父上様もそうなんですよ」
「・・え?お父様も?」

アルマは目を丸くした。

「ええ・・三年に一度、驚くような大風邪を引くんです。いつもはピンピンしておりましたけどね。―――やはり親子 似るもんなんですねぇ」

懐かしそうに笑うサンチョに、アルマもくすくすと笑う。

「本当ね・・不思議」

アルマの笑顔に微笑み返しながら 

「だからご安心なさいまし・・。クラウド様は大丈夫ですから。
それよりもアルマ様にお風邪が移ってしまうことの方が心配です。
クラウド様もそれを心配しておいでなんですよ?その方がお辛いのです。
だから・・・暫くはお寂しいでしょうが、あまりクラウド様のお傍によってはいけませんよ。クラウド様の看護は私にお任せになって下さいね」


「・・・ええ わかってるわ。寂しいけど仕方がないもの・・・。だからクラウドの事お願いね サンチョ」
アルマが微笑むと

「お任せ下さい」

サンチョが優しく微笑んだ。



**



―――・・・アルマ・・寒いよ・・こっちにおいで



―――そう・・・手を差し伸べる。
だがどんなに手を差し伸ばしても、いつもあるはずのぬくもりと柔らかな肌の感触を引き寄せることができない・・。

変わりに手に触れたのは、冷えた絹地の感触だけだった。


(・・・――ああ・・そうか・・)



熱の為に朦朧とする意識と、重い瞳を微かに開いて見えた光景に、クラウドは小さく落胆を隠せない溜息を吐く・・。




(――別の部屋で寝かせているんだった・・・。)




思考する間に 開けているのが辛くなった瞼を伏せた。


―――まったく・・忌々しいに限るな・・・。



内心で悪態を吐く。




病気は魔法では治癒できない。
自分の意志でもどうにもできないし、『天空の加護』も全く役に立たないから
処方される薬を飲み、回復するまでこうしてジリジリと待つしかない・・・・。


――普段 病気の一つもしないのに・・何年かに一回 こうして寝込むことがある…。
冗談抜きで身体が動かず 思考も鈍る―――正直最悪な状態に陥るのだ…。

昔の経験からこの状態が続くのがせいぜい『一週間位』のものだとわかっているが、その一週間を思うと気が遠くなる…。

なぜなら―― 一週間もアルマと離れていなくてはならない。



アルマは身体が弱い――だから、移すと思うと怖くて傍にいさせる事ができないのだ。



クラウドは はぁ・・と切なげな息を吐く。



アルマのいない夜など・・何年ぶりだろう・・・。


まだ同じ城の中に居ると知っているから、僅かな安堵が有るものの―――正直に言えば―――辛い。
少し離れているだけなのに…もうアルマの顔が見たいと思う…。

しかも病気の所為で気が弱くなっている所為かもしれないが―――いつも以上にアルマが恋しく、同時に触れられないことに切なさを感じる…。


だが心のままに傍に置いてしまえば、結果――この風邪を移しアルマが苦しむかも―――と思うと――そんな自分を戒められる。




(・・今日もまた・・ドリスの所か…)


はぁ・・・と再び溜息が洩れた。



(・・・・ものすごく不本意だけど・・暫くはドリスに譲るしかないな・・・・・・)


ドリスは伯父であるオジロンの娘でクラウドの叔母に(年はまだ20代)当たるが―――恐ろしくアルマを溺愛している。
グランバニアで唯一 クラウドが苦手だと思う相手でもある。

――それでも・・アルマを一人にするくらいならドリスの傍にいてもらった方がいい。



――こんな状態では、何もしてやれない・・。





怖い夢を見たとしても・・すぐ傍にいて抱きしめてやれない――


いつものように―――微笑んでやることすら おぼつかない…。


その特権を譲るのが悔しく…
朝一番に その頬に口付けられないのも…不本意だが・・・。


(・・ボクに心配させまいとして…一人で夜中・・黙って泣いていられるよりは…ずっといい)



―――そう・・声を殺して 震えていられるよりは ずっと―――






(―――でも・・・ものすごく・・・不本意だけどね・・・・)








またとろとろと夢の世界に引き込まれながら、クラウドは小さくため息を付いた。







++



豪奢な部屋の鏡の前で、

「ごめんね―――ドリス・・お邪魔じゃない?」

不安そうに問うてくるアルマに、ドリスは満面の笑みを浮かべた。

「何言ってるの?そんなわけ無いでしょ!むしろ大歓迎よ!」

ふふっと微笑んで、ドリスはブラシを掴み、アルマの髪を梳かし始めた。

「―――アルマみたいな可愛い子なら、いつだって歓迎だわ!」

ドリスったら・・・とほんのり頬を染めたアルマを見て、更にドリスが笑む。

「ふふ・・きっとクラウドは今頃溜息ついてんでしょうね?私とアルマが一夜を共に過ごすからさ」

ドリスの愉快そうな様子にアルマはキョトンと目を丸くする。それを見てドリスは更に笑う。

「あははっいいのいいの!こっちの話よ!」



いつも一緒に寝ているはずのクラウドが風邪に倒れた為、アルマはドリスの部屋で寝泊まりしていた。
お気に入りのキラーパンサーのぬいぐるみを抱きしめたアルマが戸口に現われた時から、ドリスは上機嫌この上ない。


「・・あのね・・本当はもう一人で寝なければいけないってわかっているの・・・・だってもう16歳だもの・・だけど・・・だけどね・・」

頬を染めて恥ずかしそうに俯く顔を見て、ドリスはワザとらしく困った顔をした。

「え〜?何言ってるの!そうされる方がむしろ心配だわ!アルマが一人で寝るなんて すご〜く心配よ!」

「・・?なぜ?」
「だってもし一人で寝て怖い夢見たらアルマは一人で我慢しようとするでしょ?それが心配でアタシが眠れなくなっちゃうわよ!」

苦笑しながら、ドリスはアルマの金色の髪を優しく梳かす。

「無理はしないことよ!アタシはいつだってアルマと一緒に寝たいって思ってんだからね!」
「ふふ・・ありがとう ドリス」

そんなアルマににっこりと微笑み返して、

「さぁさぁ前を向いて 綺麗に梳かしてあげるから!」








―――髪を梳かしながら、ドリスはふと眼を細めた。


アルマのこの髪は―――『彼女』とそっくりだ・・

そして――ドリスはその髪に触れるのが大好きだった
絹糸のように滑らかで、光の糸のように明るいこの髪に…。


髪を梳かしながら・・・ドリスは遠い記憶を思い出していた―――。


そう――好きだった

こうして鏡の前に腰かけて、ネグリジェ姿のとても綺麗なあの人の髪を梳かすのが…。

息をのむほど美しい人なのに―――にっこり笑うとヒマワリの花みたいに周りが明るくなった。
この席はドリスの特等席で――お気に入りの櫛を片手に、その綺麗な髪を梳いていって
その間の他愛も無いお喋りと、彼女の歌うような声で紡がれる笑い声を聞くのが とても好きだった・・・。


寝る前の―――短く楽しい―――大好きだった時間。



―――この子は…あの人に似ている。



髪だけじゃない―――。
アルマのその肌の色も瞳の色も その顔立ちも―――その香りも―――全て彼女の面影がある・・。



「…ドリス・・・?ドリス?」


名前を呼ばれていることに気が付き、ドリスはハッと我に返る。
すると
「どうしたの?」

と自分を不思議そうに見上げてくる小さな顔・・。

「あ・・ううん 何でも無いわ」



そう微笑んで、ドリスは内心切なく笑う。




―――でも・・彼女はもう…―――――居ない・・・






**



アルマが温かなベッドにもぐりこむと、ドリスはランプの灯をそっと消す。
月明かりがそっと差し込んで、柔らかな風が微かにカーテンを揺らした。
枕に頭を預け、アルマはお気に入りにキラーパンサーのぬいぐるみをぎゅと抱く。
そしてドリスにおやすみの挨拶をしようと 視線を上げた時、ふとその動きを止めた。


――とても優しく…ドリスの手がアルマの頭を撫でてきたからだった。

―――そして



「―――寝る前に一つ・・・・アルマに 約束してほしい事があるの」


突如真剣な声で言われて、アルマはキョトンとドリスを見た。
月明かりで微かに見えたドリスの顔は…どこまでも固く 真剣なまなざしだった。

思わず答えを窮すると、ドリスの固く、凛とした声が続いた。




「―――・・なにがあっても『一人で行動しないで』」



ドリスの唐突な言葉にアルマはキョトンとする。

「・・・・・どうして?」

そう問うと、その眼差しが不意に優しく、そして悪戯っぽく笑んだ。

「アルマは可愛いから」

返された言葉にアルマは更に眼をキョトンとさせる。―――それからその頬を染めた。

「ドリスったら・・・」

アルマの反応にクスクス笑ってから、またドリスはそっとアルマを撫でた。



「―――本当よ アルマはとても可愛いもの・・。気よつけないと攫われちゃうわ」
「そんなこと・・・」


そう言いかけた言葉に首を振り、ドリスは真剣な眼差しでアルマを見る。

「冗談でいってるんじゃないのよ・・・?今・・クラウドが『動けない』わ・・。――だからいい?何があっても一人で行動したら駄目・・例え何があってもよ」

いつになく真剣に言われて、アルマは何か言いたそうにドリスを見たが、やがて無言のまま静かに頷いた。

「ん・・アルマは物わかりが良くて大変よろしい!」

にっと笑うと、ドリスはまたアルマの頭を撫でる。


「それにそんな不安そうな顔をしないこと!クラウドは元が丈夫だからすぐに良くなるわ!それまでは私がアルマを一人占めできるわね!」
茶目っけたっぷりに笑むドリスにアルマも笑った。



**


――深夜

ドリスはじっと眼の前の少女の寝顔を見ていた。
お気に入りのキラーパンサーのぬいぐるみを抱きしめて すやすや眠る可愛い寝顔。


ゆらり揺らめく蝋燭が今だ消されずに燃えている。
その光が微かに少女の寝顔に毀れおちる度に、何故かドリスの瞳には暗い影が落ちた・・・。


ドリスはそっと腕を伸ばし・・少女の柔らかな髪を触れた。


「・・本当に可愛いんだから・・・注意してよね」

ぽつりとつぶやく声は、切ない色を隠せなかった。



自分でも過保護かもしれないと思う・・。
それでもドリスは不安で堪らなかった・・。


―――それは ドリスの過去に起きた出来事の所為だった。



昔・・・まだドリスが今よりも幼い頃 グランバニアを震撼させる事件があった。


それはアルマの母・・―――ビアンカの身に起きた『誘拐未遂事件』だった。


この事件はアルマには知らされていない。
幼いアルマに不安を与えない為、なによりビアンカ自身が強く希望したこともあり、秘密裏に処理されたものだった――


事件が起きたのは―――魔王が倒れ 世界に平和が訪れた 僅かその数ヶ月後だった――


魔王が滅び・・魔物の脅威が薄らぎ――人々は平和を手に入れ世界には光が満ちていた。
それは グランバニアも例外ではなかった。

ようやく辛く苦しい長い旅から帰還した王と王妃――そして 中睦まじい双子の王子と王女。
世界に平和と光をもたらし、ようやく許された―――幸せな時間。


彼らの眼の間に用意された世界は あまりにも穏やかで 平和だった。


魔物達の襲撃は止み、空は晴れ渡っていた。
風は温かく爽やかに頬を撫で、歌うように駆け抜けていく…。
季節が 春―――だったということも…影響していたのかもしれない。



『平和』という光の中で…それは『当たり前』すぎて見えていなかった。



全ての者が・・・――失念していた。




そう――『悪』とは『魔物』だけでは無いことを…。


『魔物』だけが―――『悪の心』を持っているわけではないということを――。



―――そう『悪』は存在したのだ

それも遥か前から―――とても身近に・・。



魔物よりも恐ろしく―――残酷な『悪』



―――それは同じ地上で生きる――――『人間』の中にも・・・






――その日…王―――リュカはオジロンやサンチョと共にグランバニアの会議に出席していた。
王子クラウドそして王女アルマはラインハットへ訪問中――。
そして 王妃ビアンカは―――お気に入りの庭で読書をしていた。

いつもなら彼女の傍に居たはずの魔物達も、穏やかな日差しの中で無意識に自分達の時間を過ごすことを選択し、戦いで培われた『神経』を研ぎ澄ますことを忘れていた。
また今までは常に魔物、そして侵入者への警戒で神経を過敏にしていた兵士達も、ようやく訪れた脅威からの解放に 心の緊張が解けていた…。
だからこそ平和に輝いたその光の中を――彼女が一人で歩くことも 一人で出かけることも、誰も疑問に思わなかった。



―――故に 『悪』は驚くほど滑らかに・・なんの波も立てず するりとグランバニアに侵入してきた。


その手口は―――驚くほどに単純なものだった。




困った『振り』をした人間が 彼女にいとも簡単に近づいて―――『助け』を求めた。


『この先で 仲間が倒れてしまいました どうか手を貸していただけませんでしょうか?』


彼女を誘ったのは――女だったという。
彼女は心優しく、慈愛に満ちていた。
また彼女は長らくの旅の経験から、人を守り、救う事に躊躇しなかった。


彼女は人を呼ぶことよりも先に、少しの疑いも無く―――――――その手を取った。





女に手を引かれた彼女は グランバニアの裏道へと誘われ 人目につかぬ道へと連れていかれたという・・・。。

いつもなら裏口を見張る兵士は、道具屋の主人との世間話をしていて その人影を見落とした。


――・・実際には・・少なくとも数人は――王妃の姿を目撃していた筈だった――。
見知らぬ女に手を引かれて駆け抜けていく王妃の姿を――誰かは見ていた筈だった・
だが・・・、誰一人として気に留めることはなかった。

・・・何の『障害』も無いまま  彼女はあまりにも無防備にその腕を引かれ グランバニアの外へと連れ出されようとしていた。



―――全く人目に付かない、彼女自身でさえ知らなかった狭い路地に連れてこられた時、そこには数名の男が居た。

彼女が異変に気が付いた時には―――遅かった。

―――咄嗟に魔法で応戦しようとしたが、彼女はそれができなかった。

『人』を傷つける『恐怖』が・・彼女の行動を鈍らせた――。

なぜなら彼女は『魔物』に対して『戦う術』を経験していたが、『人間』を傷つけた経験がなかったのだ。


―――異変にいち早く気が付いたプックルの働きが無ければ―――彼女はいとも簡単に彼らに連れ攫われていた。








捕えられたのは―――4名



女一名と男3名の薄汚い盗賊団だった。
盗賊団を見たグランバニア兵―――そしてリュカの怒りは凄まじかった。
それはこの盗賊団に向けられたものだけではなく―――己の失態にだった。



あの時―――ほんの少しでもプックルが間に合わなければ
ほんの僅かなタイミングと運を味方にできていなければ―――

知恵も無ければ腕も無い――そんな安いチンピラの集まりのような奴らに―――王妃を奪われていたのだ。




そう――グランバニアはまた・・・『歴史』を繰り返そうとしていた。



だが・・・なによりも彼らを慄然とさせたのは―――盗賊団がビアンカを狙ったその『理由』だった。


彼らが彼女を狙った――たった一つの『理由』―――それは



彼女が・・・『天空人』だという事だった。





世界に平和が訪れる その一瞬前までは『天空人』という存在は『希望』の象徴であり 人々にとっては『護る存在』であった。

――地上人とは違う・・・鳥肌が立つほどの『美しさ』―――心が締め付けられる『気高さ』―――あまりにも美しく尊い『血』―――

その全てが愛されるモノであり、尊ばれる物であり――人々の心を癒す『希望』そのものだった。

だが――――世界が『平和』になり…その脅威から世界が解放された瞬間から―――世界はガラリと表情を変えた。




一部の人間にとって『天空人』とは―――『狩る存在』となったのだ。



その一つの原因に―――――― 『コレクション』として 手中に収めようとする者達の存在があった。

美しい容姿――美しい歌声――なによりその希少的な存在。

彼らは――その存在を手に入れようと動き出した。

奴らは武器を振るう力こそ持っていなかったが――事態を動かす為の莫大な『金』は有していた。


――――― 『天空人』には莫大な『懸賞金』が掛けられた。


同時に――『天空人』を捕え大金を手に入れようとする、愚かな夢を抱いた者が――数多く現れ始めた。




――そして グランバニア王妃ビアンカが―――『天空人』である事実は―――既に世界中で知られてしまっていた。






―――その恐ろしい『事実』に グランバニアはようやく気が付いたのだ…。






**



あの時の苦い想いを―――ドリスは今でも忘れていない。

それは魔物にビアンカを攫われた時よりも―――更に恐ろしく忌まわしい記憶となってドリスの中に有り続けた。


―― 危険はすぐ傍にある。
それも『魔物』よりも数段恐ろしく 達が悪い…。

なぜなら―――『人間』は見分けがつかない。

大人も子供も 男も女も 関係ない。
親切な顔をして近づき、何食わぬ顔で傍に寄ってくる者こそが、『敵』である可能性があるのだ…。



―――ドリスは密かに唇を噛んだ


―――時は流れ―――『王妃』はもうこの世に居ない…。



だが―――彼女の血を引いた 『少女』が存在する。

それもこの世でただ一人『勇者』の魂を共有するもの…―――そして『魔物』と心を通わすことができるあまりにも貴重な『存在』


失われた王妃の生き写しである その存在を―――『奴ら』が 見過ごすはずがない――。




あの事件から グランバニアは常に神経を研ぎ澄ませている。
兵士も誰一人としてあの事件での戒めを忘れてはいない…。

なにより――― 一番にそれを危惧しているのは、王子クラウドだ…。


クラウドはアルマを絶対に一人で行動させようとしない―――
何気ない振る舞いの中でも―――必ず神経を尖らせている―――その隠れた理由の一つはこれだった。


――怖い


―――『魔物』なら まだいい・・・。
わかりやすく 攻撃もできる。
そしてアルマ自身も 身を守る術を身につけている…。


――だがそれが『人間』ならば・・・・ビアンカがそうだったように、アルマも・・・攻撃する事を躊躇ってしまう・・・。
人を傷つけることの恐怖が――――己の存在を守ることを拒んでしまう。





―――それが―――何よりも怖い








「・・アルマ あなたはアタシが守る―――でも・・・離れていては守れない・・。・だから・・・お願い――何があっても 『一人』で行動しないでよ」





ドリスは・・何処か泣きそうな顔で呟く。




その為に強くなった―――もうあんな思いをするのは二度と御免だから…。
だけど、手の届かない所へ行かれてしまったら―――剣は届かない。


「―――お願いよ・・・アルマ―――もうあんな思いは二度と・・・」


もう一度切なく呟いて、ドリスはその額に優しく口付けを落とした。



++



「――昨日より、また少し熱が上がったみたい」

アルマは心配のあまり強張った顔をして、額に当てた手を離そうとする―――がその手を強い手で掴まれた。


そこには熱に浮かされた クラウドの真摯な顔があった。
昨日より、数段具合が悪そうで目元には微かな隈が浮いている。
熱の所為で眠りが浅く――体力が落ちているのだろう―――。


「・・・?どうしたの?辛いの?大丈夫?」

その様子に慌てて瞳を覗きこむと、クラウドはどこか苦しそうに眉を顰めた。

「―――い」

昨日よりも数段しゃがれた声が――何かを呟いたが聞き取れず、アルマは顔を寄せる。

「・・・?なあに?」

すると クラウドが何処か辛そうに顔を顰める




「・・・―――怖い」


しゃがれた―――擦れた言葉にアルマははっとしてその手を握った。

「だ・・大丈夫よクラウド!私がクラウドを守るわ!だからだから・・安心して」

自分が病気になった時、とてつもなく心細くなり 不思議な程に寂しい思いに支配されたことを思い出しアルマは必死に言う。
だがクラウドの顔は――切なげに歪むだけだった。

「・・・―――そうじゃない・・『怖い』んだ」
もう一度繰り返されて、アルマはクラウドの手を更に強く握りしめる。

「大丈夫よクラウド!何も心配しないで?安心して! 私・・私絶対にクラウドを守るわ!何があっても・・だから」
「――違う・・・アルマ・・・ボクは・・」

痛んだ喉で呟く声は、いつもの面影も無く 弱々しく擦れた。
同時に クラウドの熱を持った手が 驚くほどの力でアルマの手を握る。

「・・・ボクがこうして・・・動けない時に――――もし・・アルマに何かあったらと思うと・・・怖いんだ・・・ッ」


――必死な程に強張った言葉に、アルマは目を丸くした。

「クラウド・・・?」
「・・・―――ボクの知らない所で・・・・もし アルマに何かあったら・・・そう思うと・・怖い・・・ッ」


「・・・クラウド・・大丈夫よ・私は」


「・・・・お願いだ・・・アルマ・・・」


いつものクラウドからは 想像できないくらい 切なく…擦れる 声




「…何があっても・・・一人で行動しないでくれ… お願いだ・・・アルマに何かあったら・・・ボクは・・ッ」




その後、クラウドが激しく咳き込み アルマは慌てて水を飲ませた。
触れた体温でわかる―――熱が前よりも上がっている。
クラウドの目がいつに無く弱々しく それでも切実な思いを浮かべてアルマを見つめてくる。
その表情にアルマは必死にクラウドの手を握る。


「クラウド・・大丈夫心配しないで・・。お願い 今は私の事よりも自分の事を考えて・・。――私は絶対大丈夫だから・・・だから」

クラウドは何か言おうとしたが――喉が居たんだようで顔を顰めただけだった。
瞳を伏せ、苦しげな吐息を漏らしながら クラウドはまた意識が混濁したように―――眠りに落ちていった。



**


アルマは胸を押さえて、俯く。
あんな表情で―――そしてあんなことを言うクラウドを見たのは 初めてだった。




『病気になると 心が弱くなるのかな・・・』




そう苦笑していた姿を思い出して 更に心が切なくて揺れた。


あんなに苦しいのに――それでも自分の身を案じてくれる。
その気持ちがアルマには嬉しい分―――切ない…。




――クラウドも・・・ドリスも 皆アルマに心を砕いてくれている。


クラウドなど―――風邪に蝕まれ自分があんなに辛い時に――。



湧きあがる想いに、ぎゅっと腕を握る。


――もっと もっと クラウドに為にできることは無いのだろうか・・・?

満足に看病もしてあげられない…。傍に居ても上げられない…。
ならばせめて―――クラウドに心配させず、クラウドが安心できるように 振舞うことはできないのだろうか?



クラウドだけでは無い――ドリスだって あんなに心を砕いてくれているのに―――。


アルマは情けなさに唇を噛みしめる―――。

自分が―――情けない。



たとえばもっと身体が強く病気をしなければ、つきっきりでクラウドの傍にいてあげられる。
もっとしっかりとして、頼りになれば、ドリスだってあんなに心配しないで済む。

―――どうすればいいのだろう?

どうすれば・・・あの二人を安心させてあげられるのだろう・・・?


そんな時、とふと、アルマは眼にはいった花を見て思い出した。



父――リュカも時々クラウドと同じような顔をしていた。
それは―――母ビアンカに対してだった。


リュカはいつでもビアンカに クラウドがアルマに対する同じような不安を抱いていたのかもしれない・…。

父は―――いつでも母の傍にいた。
目の届く範囲に母を置き、寄り添っていた。
そしてリュカが傍に居ない時は―――魔物達が…。


それは・・・今の自分の境遇と似ていた。



――それでも、アルマの記憶の中では 母がこのように俯いている記憶はない・・・。
同時に母の周りにいる者達も、アルマの時のような不安げな顔をしなかった。
あの父だって――母の傍にいる時は自然と笑顔になり、安心したような顔をしていた。


その違いは―――なんなのだろう・・?




―――どうすれば・・母のようになれるのだろうか?


ドリスを―――皆を―――クラウドを―――安心させてあげられるのだろう・・・?



アルマは 静かに溜息を吐く。




**



「アルマ ごめんね ちょっとお客様が来たから」

ドリスがすまなそうなに詫びると、アルマは笑んで答える。

「大丈夫よドリス すぐ近くだもの スラリンと行ってくるわ」

アルマは肩に乗せたスライムのスラリンに微笑みかける。

「―――そう?とっても不安なんだけど」
ドリスは顔を顰めた。

「・・でも・・ピエールは兵士達の剣の稽古だし・・シーザーじゃ大きすぎるしねぇ」
「もう心配しないで・・・行くといってもグランバニアの中だもの それにスラリンも一緒だし」
ドリスはしばらくじぃ〜とスラリンを見てから、くすりと笑った。

「そうね・・スラリン アルマを頼んだわよ」

ピキ―とスラリンが自信満々に鳴いた。



肩に乗せたスラリンと笑って会話をする。
だが――実際はスラリンのピーピーと鳴くだけで、その『言葉』はアルマにしか分からない。

魔物の中にも人間の言葉を話す者と、そうでない者が居て、どうしてそのように分かれるのかアルマも理由は知らなかった。

ピエールのように紳士的な言葉を巧みに操る者と、シーザーのように身体は大きいが片言にしか喋れない魔物…。
そしてこうして独自の鳴き声でしか会話できないもの―――。

(―――魔物さんて不思議)

アルマはそう思う―――が、アルマには生まれつき魔物の意志をくみ取る能力があったので、特に不便はしていない。
クラウドなどはたまに 意味が分からず苦笑していたりするが・・・。


「あっ着いたわよ スラリン」


アルマは微笑んで目の前に広がる庭に駆け寄った。

そこはグランバニアの美しい庭園だった。

母ビアンカが愛した―――花が咲き乱れる 不思議な空間。

グランバニアの町の中 ポカリとあいた空間に様々な種類の花が咲き乱れていて、まるで城の中では無いようだ。



「―――あのね・・この桃色の花を摘んでほしいの。」

そう指さすとスラリンは不思議そうに指さされた花を見る。

「お花だけど薬草なのよ―――。クラウドの部屋に飾るの。実はね この花の香りは とても心が落ち着くのよ――だから」

アルマは屈んで花を摘み始めた。

「お母様に教えていただいたの。私が風邪を引いた時にも摘んできてくれた。
不思議なんだけど、この香りが部屋の中にあると・・熱で眠りが浅い時もゆっくり眠れるのよ…だからクラウドのお部屋に・・・」

だがアルマは苦笑する。

スラリンは近くにいた蝶々を追いかけるのに夢中で アルマの話などどこ吹く風のようだ――。

「もう・・っ困った子ね」

クスクス笑って、アルマは小さなその花を摘み始めた。

―――だが、その手が不意に止まる。


自分を見つめる視線に気が付いたからだった。

アルマは振り返った―――。



そこには――― 見覚えのある一人の若者がいた。


「・・・・まぁ!ロイルさん・・・・こんにちわ」



アルマがにっこり微笑んだ。
この若者の顔は知っている。武器屋の一人息子で――アルマより7つ程年上の温和な青年だった。


だが―――ロイルは何も言わず、静かに頭を下げただけだった。
その様子にアルマは微かに首をかしげた。
本来この若者は父親に似て、にこにこと笑顔を絶やさないはずなのに・・。

だが今は微笑むどころか―――酷く強張った血の気の無い、青白い顔をしていた。




「・・―――あの?どうかしたのですか?」

アルマが問いかけると、ロイルは

「・・・・いえ・・」


と、擦れそうなほど小さな声で答えた。

どう考えても――いつもと違う。



「・・・あの?」



アルマが再度問いかけると、ロイルはなぜかビクリと身体を震わせた。
そして、何かを『抑え込む』ようにぎゅっと、腕を握りこんだのをアルマは見逃さなかった。




―――カタカタとその身体が小刻みに震えている…。


尋常ではない様子に、アルマの顔も次第に曇っていく

「―――どうなさったの・・・?なにか・・・あったのですか?」



静かに問うと…ごく・・とロイルが生唾を飲み込む音がした。

つぅ・・と冷や汗がその頬を流れ落ちるのを見て、アルマも無意識に沈黙した…。





「――――あの・・アルマ様・・お話があるのですが・・・」



―――長い沈黙の後…擦れるほど小さな声でそうぽそりと呟く声を聞いた。



「・・・お話?」


アルマは首を傾げる。


「・・ここでは言えません・・―――それに・・・」


ロイルはそう青ざめた唇を固く結んび、ちらりとスラリンを見た…。


「・・アルマ様だけに…聞いていただきたいことなんです…」



僅かばかり強く言われ、アルマはキョトンとし・・・それから改めてロイルの顔を窺う。

今や血の気が完全に無くなり、冷や汗が浮かび カタカタと震えるその顔は――あからさまに異常だ…。



「・・・わかりました・・スラリン・・ごめんなさいね」

視線を合わせると、スラリンが肩でぴぃ―と不服そうな声で鳴いた。

アルマが優しく微笑むと、スラリンは不機嫌そうにもう一度鳴いて アルマの肩から飛び降りた。


アルマはロイルに頷くと、そっと足を運び、スラリンと距離を取る。

スラリンは不機嫌そうにこちらを見ていたが、やがて気がそれて、傍にいる蝶々を追いかけて遊び始めた。
その姿に微笑みながらアルマはロイルに囁いた。


「・・・大丈夫です。あまり『人間』の言葉が上手な子じゃありませんから・・・。」


アルマの微笑みに対して、ロイルは複雑な表情を浮かべたまま 視線を落とした。


長い沈黙が続く――。

後ろでスラリンがピーピーと蝶々に向かって鳴いているのが聞こえた。



突如――――ロイル眼に見えて震えた・・・。
顔が青ざめ、ガタガタと歯が鳴っている。


「・・・ロイルさ・・・」
その様子に声をかけようとした瞬間―――


「・・・た・・助けてください」


―――酷く擦れ 震える 小さな声がした―――

唐突の言葉に、アルマは眼を丸くする。



「こ・・こんなことしてはいけないって―――グランバニアの・・・国民として・・・こんなこと ダメだって・・・俺は・・・俺はわかって・・いるんです」


震える唇から毀れる言葉は―――酷く聞き取り難かった。


「―――――ほ・・本当は俺・・・こんなこと言っちゃいけないって・・わかっているんです・・ッ
で・・でも俺は・・俺は・・どうしていいか・・わからなくて・・・・」


ロイルのその瞳には・・・涙が浮かぶ…。


「―――ごめんなさい・・ごめんなさいっ・・・でも・・俺は・・・・俺は・・・・エレナを失うことは・・耐えられないんです・・・ッ」

痛々しい程に懺悔が滲む声で、若者は声を絞り出す。

――エレナ・・?とアルマは眼を開く。


エレナは防具屋の一人娘だった。明るく働き者だと主人がよく自慢していた。―――そしてロイルの恋人だった。

「・・・エレナを『失う』とは・・どういうことなんですか?何があったんですか?」

その問いに答えるロイルの顔は蒼白で…痛々しいほどに震えていた。


「…お・・俺達は・・・俺とエレナは昨日・・チゾットを越えていました。隣の町に良い武器と防具が入ったと知らせがあったから―――二人で仕入れに行っていたんです。」

震える声でロイルは続けた。


「―――チゾットを降りて・・もうすぐグランバニアに着く・・・そんな時でした・・・」



「・・・・・――――――――・『盗賊』に襲われたんです」




「盗賊?」




ロイルは震える顔で頷いた―――。



「・・そ・その『盗賊団』はグランバニアの森の陰に潜んでいました―――数は5人…。あっという間に囲まれて…俺なんかじゃとても太刀打ちできなくて・・――」



そこまで聞き、アルマの顔が強張っていく。




「―――エレナが・・・捕えられて」


ガクガク―――とロイルの足が震える。



「―――・・そしたらそいつらが――――言ったんです・・」



そうロイルは顔を覆い、嗚咽を殺した。






『―――女を返してほしければ――――『アルマ王女』を連れて来いって・・』




「私を・・・?」



――はい・・と答えた声は擦れていた。






「―――きっと城は警備が厳しいからです―――だからアルマ様を城の外に出したいんです…。奴らは言いました・・・

――― 『誰にも言うな』って・・。もしアルマ王女以外の人間に知れたら―――『勇者 クラウド エルケル グランバニア』の耳に入れたら―――その場でエレナを殺すって――」


若者は 呻いた



「――あいつ等は 本気です・・・血も涙も無いような顔をしていた・・。今だって本当にエレナが無事かわかりません―――もしかしたら・・・・でも・・・でも ッ」


そう覆った顔からは涙が流れる。



「・・・俺・・わかってるんです!こんなこと・・・頼んじゃいけないって―――ッ・・・間違ってるって…ッ!
本当だったら…すぐにでも警備兵に言えばいいんです・・・ックラウド様に・・クレイト隊長に・・・いえ・・・アルマ様以外の誰かだったら誰でもいい・・・ッ」



―――間違っているのは 俺なんですッ

とロイルは 悲しい程に泣いた。


「―――でも・でも・・でもっ俺は馬鹿だからッ・・・・どうしようもない馬鹿野郎だから・・・ッ
ほんの少しの可能性があることが・・・怖くてたまらないんです・・ッ
俺がどう行動したか・・もし奴らに筒抜けだったら・・そしたら・・エ・エレナが・・・エレナが殺される・・・ッ」


声を詰まらせて 顔を覆い 身体を震わせる若者は…痛々しい程に震えた声で 言った。



「―――・・俺はエレナを・・・エレナを失うことだけは―――耐えられませんッ・・



―――ごめんなさい…ッアルマ様・・・・・・・・・・・・・」





嗚咽にかすれた声は痛々しく消えた―――



**


その日―――突如 暗雲が空を覆った。
同時に―――外に不吉な風が吹いた――。


そして―――突如―――ドリスはぞっと背筋を粟立てた―――。


無意識に見た 外の世界の変化に―――否応なしに 嫌な予感が―――体中を駆け巡った。



瞬時に

あの 記憶が―――どっとドリスを支配する



「――――ッ どうしたのだドリス!」


そう驚いたようなオジロンの制止も聞かず、ドリスは部屋を飛び出した。




「―――アルマッ・・・ッアルマはどこ!!あの庭から帰ってきたの!?」


控えていた兵士はその問いに青ざめた顔をする。

「いえ・・ッ先程から見掛けていませんが・・・どうかなさったのですか?」


「―――ッ至急クレイト隊長に連絡し 兵を集結させて!」
「ドリス様ッ?」

ドリスの顔は 青白く その身体は震えた




「――嫌な予感がするの・・・ッアルマを探して!!」





**



熱に浮かされ―――酷い倦怠感の中で クラウドは辛うじて瞼を開け・・伸ばしたその先を見た・・・。


アルマの夢を見た―――でも手を伸ばしても 触れられなかった――


それもそのはずだ―――ここには・・・居ないのだから…。





熱に犯された意識が朦朧とし―――混濁していく
体が恐ろしくだるく―――全ての体力が抜け出てしまったかのように起き上がれない…。


『何か』が心の中で騒いだが―――聞き取る前に まるで闇に引きずり込まれるように 意識が遠のいていく―――






―――アルマ


寒いよ・・


だから―――何処にも行かないで



ここに―――居てくれ





そう 切なく願いながらも――――



クラウドの意識は―――





また途絶えた――








グランバニアに―――風が吹いた



『あの日』と同じ――――――心ざわめかせる――――黒き風が―――







続く






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