ここは多くの船が行き交う港町―――…ポートセルミ

青い空と青い海…―そして海から吹く温かな風に挟まれたこの港には、
様々な旅人達や貿易商人が集い、活気に溢れていた。


そんな街中で――


「――クラウド見て!あそこに、お船があるわ!」


港をぐるりと見渡していたアルマが、嬉しそうにクラウドの裾を引っ張った。
視線を向けると青色の海原に大きな船がいくつも浮かんでいた。


「――わぁっ!あんなにたくさんのお船見るなんて久しぶりだわ」


瞳を輝かせ嬉しそうに綻ぶ横顔を見て、クラウドの胸は痛い程に安堵していた。


白い頬に赤みが挿し、楽しそうに綻ぶ顔に『数日前』の面影は無い・・・。


―・・・数日前まで、アルマは高熱に犯され、意識不明に陥っていたのだ。


アルマが面倒を見ていた子猫が魔物に殺された。――それが原因だった。


『普通の人間』ならばその猫を想い、悲しみ嘆くだけで済んだのかもしれない。
しかしアルマには 『死の恐怖』を感じた 子猫の叫びと苦しみがわかってしまうのだ。


繊細で優しいアルマの性格に、父が与えたその『能力』は あまりにも酷だった。


硝子のように脆いアルマの心では、その痛みを一度に受け止める事はできない。

――溢れた痛みは『悲鳴』となり、高熱となって体を犯した。

体も――心も病んだアルマは遂に意識を失い、長い時間 意識を取り戻さなかった。


『心の傷』は魔法で癒すことが出来ない。

自分で乗り越えてくれるのを 待つしかない。

――生きた心地がしなかった。



だから――こうして笑顔を取り戻したくれたことが、どうしようもないほど嬉しかった・・。



■空誓■



「クラウド見て!あそこ・・!」


海を見渡していたアルマが一際目立つ船を指差した。――それは大富豪ルドマン所有の物。
豪華な飾りで人目を惹くその船は、多くの見物客で賑わっていた。


「ねぇクラウド 近くで見たいわ」

アルマが駆け出そうとしたので、クラウドがそれを引き止める。

「アルマ、走ったらダメだ。まだ病み上がりなんだから―」
「大丈夫よ。今日はとても体が軽いの」

その言葉に クラウドが苦笑しながら付け加える。

「じゃぁ『約束』したこと、忘れてないな?」

すると、アルマがきょとんとした顔をする

「ほら、いってごらん?」

クラウドがアルマの顔を覗き込むと、アルマはくすくすと笑った。


「…『どんな時もクラウドから離れないこと』『一人にならないこと』『知らない人に付いて行かないこと」
「正解!…アルマは迷子の名人なんだからね。――いい?何があっても、絶対にボクから離れないように」
「うん。わかりました」

「よし」


クラウドは優しく微笑むと、アルマの手を引いて歩き出した。


**


船を見ていつになく嬉しげなアルマに手を引かれながら、大きな船の周りを歩いた。

――見事な船だ。

大きさもそうだが、その技術も素晴らしい。


…昔、船で旅をしたことを思い出す。

父が持っていた船は ルドマンから譲り受けたものだと聞いていた。
その船も見事な出来で、アルマの大のお気に入りだったのだ。


魔法の絨毯が手に入ったおかげで、船の旅はしなくなってしまったが
その船は 今でもグランバニアの為に働いてくれている。


「すごいわ・・素敵な設計・・・。」

アルマが感動したように瞳を輝かせる。
それに微笑もうとして、突如クラウドは 後ろの気配に眉を潜めた。




色鮮やかな見物客の中に、柄の悪い男達が数人混じっている・・・
そいつらがアルマを見て、なにかを囁きあっているのだ。


そう言えば――とクラウドは記憶を探る。
港の酒場や町の壁に 『人攫い集団『ウルフ』に注意!』 の張り紙が多く張られ、何枚か似顔絵も公開されていた。


(・・・あいつらがそうか・・・・魔物以下の奴らだな・・・・)



後ろの男達に神経を集中させながら、クラウドが毒づく。


人攫い集団 『ウルフ』 は人を攫って売りさばき、大金を手に入れるという冷酷極まりない奴らだ…。


――だが、奴らは賢い。


決して『尻尾』を出さず、その手口も巧妙。
ポートセルミ兵士も逮捕の糸口が掴めず、長い間 頭を抱えている問題だ…。




クラウドは苦い笑いを零す。


『こういう奴ら』 に関わりたくないから、王族と分かるような身なりはしなかった。

服装もごくありふれた旅人の服。
むしろ昔から使い込んでいるから、見た目もかなり古い・・・。


それなのに、こうしてアルマの容姿は人目を引いてしまう。―― その理由は傍にいる自分が一番知っていた。




「・・・アルマ、帰るぞ」


あからさまな視線を感じたクラウドは、アルマの肩を抱いた。

「え?・・なぜ?もう少し見たいわ」

アルマの残念そうな表情に微笑みかけながら、クラウドは半ば強引に歩き出した。


「まだ病み上がりだ。無理しちゃダメだよ」
「・・・でも・・・」

アルマの肩を抱く手に力を込めながら、クラウドは少し速度を速める。
――男達が 尾行してくるのが分かった。


それも一人や二人じゃない。
一定の距離をとりながらも、鋭い視線をこちらに向けてくる。



名前の通り、狼のような連中だ…。
こうして群れをつくり、『狩り』をするつもりなのだろう。


***



アルマの話に時折相槌を打ちながら、相手の行動を視界に捕らえる。

その動きでわかる。今 『尾行』してくる奴らは たいした奴じゃない。

――簡単に倒せる相手だろう。

――だが、できるだけ争いは避けたかった。

病み上がりのアルマにそんな場面を見せたくないし、騒ぎになるのも面倒だ。

それに、『天空の剣』を公衆の面前で曝け出すのは気が引ける。
自分達の素性がわかれば、『面倒』に巻き込まれかねないからだ。


クラウドは速度を速めながら、眉を潜める。


相手は諦める素振りを微塵も見せない。――むしろ自分達の存在を示すようにすら見える。

腰に携えた剣が見えた。使い込まれている事が 一目で分かる。
相手も腕に自信があるということだ…。

人気のない所に追い詰めて、一気に力で挑んでくる気なのだろう。


そうなる前に――ここを離れるべきだ。


クラウドは無意識に剣の柄を握る。


どちらにしろ、早く開けた場所に出なければならない。
病み上がりのアルマにとって、『ルーラ』は負担が掛かりすぎる為、今回はキメラの翼で移動することにしていた。

『キメラの翼』は周りに多少の影響が出るから、どうしてもこの人ごみを抜けなければならないのだ。



クラウドは内心溜息をつく。
――これからしばらく ポートセルミにはこれない。


あの中の一人は見た事がある。以前もこちらを見ていた男だ。

きっと以前訪れた時から、奴らはアルマを『標的』にしていたのだろう。
こんな集団を作って尾行してくるのがいい証拠だ。
奴らは 『狩り』を実行しようとしている。




視線を落とすと、アルマの顔が見える。
珍しく、ほんの少し拗ねたような顔をしている。
それが可愛らしくて、クラウドは囁いた。


「…今度は妖精の村に行こう。一週間くらい泊まりでね」



アルマの顔が ぱぁと明るくなる。





アルマの顔を見て、クラウドの肩を抱く手に力を込めた。



**



人ごみを抜け、クラウドとアルマは開けた港の端に出た。
道具袋を開けるクラウドを見て、アルマが躊躇いながら言う。

「クラウドいいの?私なら大丈夫よ。ルーラくらいなら・・・」
「ダメだ。アルマの体がちゃんと治るまで魔法は禁止」

アルマがシュン・・とするのに苦笑しながら、キメラの翼を取り出そうとした途端・・・



「おい兄ちゃん。ちょっと待てよ」




突如 聞こえたその声に――クラウドは、苦い溜息をついた。



(・・・たくッ)




見るからに 柄の悪い大男だ。
その男を先頭に、10人ほどの男達が近づいてくる。


クラウドは苛立ちが隠せない。


こちらが逃げるとわかったから、こうして声をかけることで足止めさせる気だ。


アルマにこんな男の存在を知られたくなかったが、もう遅い。
…すでにその男を不思議そうに見ている。


…早めにケリを着ける…。


クラウドはアルマを背後に隠すと、男と向き合った。




**



大柄の男だ。肌は浅黒く、酒と煙草の匂いがした。
意地悪く歪められた顔。
大きく開いた口には金歯が見え、腰にはこれ見よがしの大刀をぶら下げていた。


「…ボク達に何か用でも?」


相手を眺めたクラウドの声が 自然と尖る。



嫌な相手だ…。
こいつからは『獣』の匂いがする…。



「おお有りだぜ…兄ちゃん」

男のそう言うと、アルマに視線を移した。



「――お前、『いい女』連れてるなぁ」


その声に含まれた響きを感じ取り、クラウドの服を握り締めたアルマの手が小刻みに震えた。


(・・・・下衆がッ)


クラウドは内心で吐き捨て、相手を睨みつける。


「…お褒めの言葉をどうも。だがボク達は急いでいる。悪いがどいてくれ」

「そいつはできねぇ相談だ」

「…言っておくが、ボクらはただの旅人だ。
金目の物も持ってない。絡むだけ無駄だと思うけど・・・?」

「・・・いいや、無駄じゃねぇな。」

男は嘲笑うように 声を落とした・・。


「――・・お前ら 『王族』 だろ?」



見開いた男の瞳とは対象的に、クラウドの青い瞳が冷たく細められる。



「隠したって分かる。―― その品の良さ、立ち振る舞い。・・・庶民にはまねできねぇからな」

男はククっと笑うと、『だろぉ?お譲ちゃん』とアルマに笑いかけた。
少しも隠そうとしない男の汚れた視線を受け、アルマの震えが強くなったのを感じ、クラウドは拳を握り締める。




相手は10人。
魔法を使うまでもない。
――20秒で倒せる。


アルマの前で争い事を起こしたくなかったが 仕方がない…。
これ以上、こいつが余計なことを言わないうちに・・・。


そう思い柄に手をかけた・・・・が、


「・・・ッ!」


クラウドの動きが止まった。






―――なぜなら・・・






「そうだよ 兄ちゃん。変に動かない方がいいぜ」

男が唇を大きく歪めた。



「こっちには、大事な『お客様』が居るんだからなぁ」





***


男の合図を受けて出てきた手下の腕に、鋭い刃物を突きつけられた若い女性がいた。
刃物を首筋に当てられた女性は唇を真っ青にし、息も告げないほどに震えている。
その ただならぬ姿に、状況を察したクラウドは唇を噛み締めた。


この・・・下衆どもがッ!!



「察しがいいな、兄ちゃん」


クラウドの顔色に気が付いた男が軽く手を叩く――・すると群がっていた手下達が脇に退いた。
道が開け、見えた先には、腕を海に伸ばした男がいる。


その手には剣が握られているが、剣先に『何か』がぶら下がっていた。


ここからかなり離れているが、その『何か』がはっきり見えた。



・・・赤ん坊だ。



剣の先に衣服を引っ掛けた状態で、海に突き出されている。


泣き喚く赤ん坊は 風に吹かれて危うげに揺れていた。――これ以上動けば、衣服が破れて海に落ちるだろう。


「た・・・助けてください・・助けて・お願いッ!・・・・・・・私の・・・赤ちゃんを・・・助けて お願い」



クラウドの耳に女性の悲痛な懇願の声が響く。――それと同時に、男の下品な笑いを聞いた。



「あそこに落ちたら最後、――絶対に助からない…波に飲まれるか魔物の餌だぜ」


日が傾き、男の顔に影が掛かる。

そして愉快そうに笑う唇だけが、毒々しいほどに鮮明に浮かび上がった。




「赤ん坊を無事に帰して欲しいなら、そのお譲ちゃんを俺に渡せ」





**




手下達の愉快そうな笑いが辺りを包む。――そんな中で、男がにやり、と目を細めた。


「…一つ教えといてやる。『あいつ』にはすでに『命令』を出している。
ある『条件』が満たされると、あいつはガキを海に振り落とすことになってんだ。

まず一つ…それは、お前が剣を抜いた時…。
二つ、…魔法の気配を感じた時。
三つ目…俺達の誰かが、傷を負わされた時…だ!」


男は瞳を細め、笑んだ。――その勝利を確信した顔に、クラウドの腸は煮えくり返った。



こいつらは、『人』を『盾』にするつもりなのだ。

力でクラウドに適わないことを見抜いているのか、よほどの腑抜けか…そこはわからないが
『人』という壊せない『盾』を構えて、要求を突きつける。


そうすれば手が出せない事を 読んでいる・・・ッ!



クラウドは唇を噛みしめる。――…口の中に血の味が広がった。



実際、女性だけの人質なら問題がなかったのだ。
相手だけを気絶させて、女性を助け出すこともクラウドになら出来た。


だが、あの赤ん坊は別だ。


剣先に吊るされた状態。
泣き喚く度に体が揺れて、今にでも海に落ちそうだ。


男の言葉どおり、海に落ちたら助からない。――助ける間もなく魔物に食われてしまうだろう。


それに男の与えた『命令』は、恐ろしく賢い…。



赤子とクラウドの距離は、あまりにも離れ過ぎていた。

クラウドがどんなに早く剣を抜いたとしても、魔法を放ったとしても、この距離では遅すぎる…。

男の性格を考えれば、甘い期待は抱けない…。
その『条件』を満たした時点で、手下はいとも簡単に赤子を捨てるだろう・・・。


人間らしい感情などすでに無いのだ…。――この男にとって人質代わりなど、いくらでもいる…。



「…交渉成立って事でいいんだろ?まさか見捨てやしないよなぁ?」


クラウドの顔色を見た男がそう嘲る・・・



「つーわけで、兄ちゃん。交渉成立の証に、その物騒なもんこっちに渡せや」


そう笑いながら、男はクラウドが握り締めたままの柄を指差す。――だがクラウドは反応を返さない。


「…おいおいだんまりか?困るぜ…俺達けっこう忙しい身なんだよ」


男が再度催促する。
それでもクラウドは無言のまま動かない。…いや、動けない。




交渉成立…?
ふざけるな…。




そんな事、死んでも承諾できない。



―――だが



クラウドの瞳が揺れる。

予想できる未来に、怒りと絶望で 呼吸が乱れた。




***



沈黙するクラウドを見て、男の声色が変わる。


「おい…兄ちゃんよ。――俺は気が短い。これが最後だ・・・その剣をこっちに渡せ!」


クラウドは反応しない。
それを見て、遂に男が叫んだ!


「おい!ガキを海に捨てろ!!!」
「やめてッ!」


クラウドよりも早く反応したのは ――アルマだった。
その声を聞いた男は喜ぶように目を細めた。

「へぇ?声も可愛いじゃねぇか。こりゃいいや。『ご主人様の為に歌を謳います。』
『可愛い声で鳴きます』って売り文句を付けたら 客が飛びつく」


男の言葉に、アルマの顔が強張る。
それでも表情は毅然とし、瞳には一つの決意が見て取れた。


それを感じて、クラウドはどうしようもない怒りと失望感で眩暈を覚えた。



そう、これが一番嫌だった。



たとえ自分を犠牲にしても、相手を助けようとする

アルマの自己犠牲的な性格…。


こうなったアルマは自分のことなど考えない。
――クラウドのことも 考えない。


考えるのはこの 人質のことだけ・・・。

その為なら全てを捨ててしまえるアルマの性格。


それが一番怖いから、早く…終わらせたかったのに・・・。





正直・・・クラウドにとってアルマ以外 大切なものはない。
その為に、いざとなれば人質の二人を容赦なく見捨てる自分がいることを知っていた。

ここで赤ん坊を見捨て、女性の懇願を無視したとしても、それでもアルマが無事ならそれでいいと思う自分が居る。


だが


クラウドは柄を握り締めながら、唇を噛み締めた。


アルマはそんな自分を、未来永劫…許すことはないだろう…。


***



少年の顔色を見て、男が勝ち誇った笑みを浮かべる。


「…どうするんだ お譲ちゃん」


答えが分かりきった問い。
これを女自身に言わせる事と、相手の男に聞かせることが男の楽しみだった。
相手の顔に絶望が走る瞬間。――それがたまらなく心地よい。


娘は男を見た。
覚悟を決めた顔だ。


「・・・・・私が行きます。だからこの人達を放してください」


男の顔が勝利に歪んだ。



瞳を移すと、少年の体が目に見えて強張っているのが見えた――。

男はそれを満足げに見たまま、わざとらしいほどの優しい声を捻り出す。


「ああ・・いいとも。お譲ちゃんさえ来てくれたら、無事に返してやるよ。俺は優しいからな・・・」


「…わかりました」


「交渉成立…だな」


男は余裕の表情で少年を見下ろした。
これを聞かせることも、男の楽しみの一つだった。


「なぁ兄ちゃん知ってるか?」


男はゆっくりゆっくり、少年に想像させる時間を与えながら 言葉を零していった・・・




「…こういう子を犯す時、男は最高に興奮するらしいぜ・・・?」




引き離す男に、女の暗い未来を聞かせるこの時間が この上なく快感だ。
男の顔が絶望に覆われていくのを見るのが、たまらない。



「心配すんな。お前の女、それは可愛がってもらえるぜぇ。きっと『悲鳴』をあげるほどな・・・」




少年の瞳が色を無くした・・・。




「・・・クラウド・・だめ!」
「・・ッ!」




娘の言葉を不審に思い、視線を移した男は―――突如 その怒りで顔を歪めた。




(こいつ・・・)



男の顔に青筋が浮きだした。





(・…今・・・俺を殺そうとしやがったッ!!)



少年の手は柄に掛かったまま硬直していたが、そこからは微かに光り輝く刃先が見えていた…。



それを見て、男は血管を浮き上がらせ、少年に視線を睨む。



(・・・・このガキッ!人質を『見捨てて』も この女を取り戻そうとしたな…!)



少年が柄を握り締めた手が震えている。
それを抑えるように、娘の小さな声がした。


「ダメ・・・動かないで・ッ・」


「…アルマッ…ボクはッ」


少年の声が掠れる。
その声は既に 懇願に近かった。



「ダメ・・・・・・二人を犠牲には出来ない」




娘の声に・・少年の顔が絶望で覆い尽くされていくのを・・・男は見た。

自然と顔がにやけた。

女にこう言われた男は 面白いほど無力だ。
それを十分に知っていた。



今だ…!



男は遂に 少年の手から剣を奪い取った。



「たく、油断も隙もねぇ兄ちゃんだぜ!」


そう言いながら、剣を見た男はぽかんと口を開ける。


なんとも見事な品だった。――こんなに美しい剣は見た事がない。

だがその顔をすぐにしかめる。

鞘から剣を抜くことが 出来なかったからだ・・・。

男は眉を潜めた。

さっきこいつは剣を抜こうとしていたはずだ…現に微かに抜けた剣を見た。

だが どうやっても抜けない。


「なんだ兄ちゃん…剣かと思ったが ただの『置物』をもってたのか?とんだ取り越し苦労だったぜ!」


男は少年を見て鼻で笑った。
あの構え方、とっさの身のこなしから随分の使い手だと想像していたが、なんてことはない。
こんな玩具を持っていただけなのだ。


「それにしても・・・ずいぶん綺麗な一品じゃねぇか!こっちもありがたく頂いておくよ」


男はにやりと笑うと、今度は娘を引き寄せた。
娘の手を掴んだ瞬間、少年の体が強張るのを感じた。
それを横目で見ながら、少年の前でその頬に触れてみる。


驚くほど滑らかで柔らかい肌だ。
自分の浅黒い手が少女の肌に触れているのは なんとも奇妙な気持ちだった。


だがまじかに見た娘は、惚れ惚れするような美しさだ。


「こりゃぁいい・・・」

男は感嘆の溜息をつく。


「見れば見るほど上玉だ。高額な値で売れるぜ・・・」

男はくくっと笑うと、手下を呼ぶ。


「おい、念のため『あれ』を貸せ」
「へい!」
と、部下から差し出されたものは『玉の首飾り』だ。


「『静寂の玉』っていうもんだ。魔法を使う者に沈黙をもたらす・・・まぁ俺は用心深いんでね」


昔、捕らえた娘が魔法を使って逃げようとした事がある。
その経験から捕らえる時、必ず魔法封じの呪いをかけていた。


何事にも妥協しない。
それがこの仕事の成功の秘訣だと男は確信していた。


「ついでにお前もな」


男はそう言うと、無言の少年にもその首飾りを翳す。
用心に越したことはない。
剣を振るえない男でも、魔法に長けている場合がある。




作業が済むと男は先ほどまで人質にしていた女を 少年に投げつけた。


「約束どおり、人質は返すぜ!でもお前はそこを動くな・・・」

そう言いながら、今度は娘の首筋にナイフを当てる。

「このナイフは『毒蛾のナイフ』だ。少しでも傷がついたら一瞬にして全身に毒が回って死ぬ。
下手なことを考えるなよ…俺に何かしようとしたら、この娘も道連れにするからな」


実際殺すつもりはないが、このガキにはいい脅しになる。


「さっきも言ったが、俺は用心深いんでなかなか安心できねぇんだ。
だから赤ん坊を返すことはまだできねぇ・・・」


男の言葉に、女性が悲鳴をあげて泣きじゃくったが、男はそれを鼻で笑う。

「心配すんな。ガキに用はねぇ。
俺達が無事に海に出たらキメラの翼でこの港の入り口に赤ん坊を送ってやる 
俺達は心優しいからなぁ〜!感謝し・・・」


そう言う途中、男は息を詰まらせた。


・・・・恐ろしいほどの威圧感を感じたからだ。


空気が重くなる感覚…。
息が詰まる。


それと同時に 微かな音が 聞こえ始めた。

パチッ…!バチィッ…!と…


何処かで聞いたことのある音だ。
何かが擦れ、弾け合うような音…。

それは次第に大きくなり、音と同時に微かな光が見えるようになった。
見える光は黄金に輝く雷鳴のようなもの。
それが男達の間で不気味に音を立て始める。

「・・・おい・・てめぇ・・・何を」

男が青ざめながら、少年を見る。
少年の顔は俯いていて見えなかったが、それが返って恐ろしいものを感じさせた。


少年はあの場所から 一歩も動いていない。
両手もなにもしていない。
魔法も封じたし、何かを唱えている様子がない。

何だ・・・ッ!?

バチィッ!

一際大きな音が聞こえた瞬間、男の服が裂けていた。
それはまるで高熱に焼かれたように焦げている。

「うわぁ!」
「なんだ!」

手下達の怯えたようなどよめきが起こる。
意味不明な謎の音。そして切り裂くように焦がされていく服。

悲鳴はますます大きくなり、仲間の中で混乱が広まる。


「てめぇ!!これが見えねぇのか!」


男は青ざめた顔をしたまま、娘の首筋に刃物を当てる。


「赤ん坊もまだ俺の元だ!!お前が妙なまねしやがったら、こいつらの命はねぇぞ!」

母親がやめてください!と泣き叫ぶる声だけが聞こえるだけの・・・空間。
空気が重く、先ほどの音が次第に大きく、そして光がはっきりと見え始める。


ここにいるのはまずい!このガキ!やはりただもんじゃねぇ!


本能でそう気付いた男は、道具袋にあるキメラの翼を取り出した。


逃げるが勝ちだ!
こんなガキにもう用はねぇ!!

「じゃあな!兄ちゃん!!!最高の土産をありがとよ!」

男はそう高らかに言うと、空高くキメラの翼を放り投げた。



***



「・・あぁ・・よかった!本当に」

女性は泣きながら赤ん坊を抱きしめた。
男の言葉どおり、赤ん坊はポートセルミの入り口に居た。


「ありがとうございます。本当に…」


女性は涙を流しながら何度も何度も 頭を下げる。
だが少年は、一言も言葉を発しなかった。


二人の様子に声をかける者が現われ、次第に二人の近くに人垣が出来始めた。
そして皆、女性から聞いた事の真相に青ざめ、怒り、声を荒げた。


「君!大丈夫だったかい!怪我はないかい?」

「どうしたんだい?」

「人攫いの集団『ウルフ』に絡まれたらしい」

「そりゃ…大変だったねぇ…」

「お連れさんがそいつらに攫われてしまったらしいんだ・・・なんとも気の毒な話だ」

「そいつらの顔を覚えているかい?早く兵士に言ってこちらも早急に船を出して・・・」

代わる代わる、同情した人々から少年に声がかけられる。
――だが どの声にも少年は 反応しなかった。



**


兵士は走っていた。
最近、多くの被害が報告されている『ウルフ』による人攫い。――それがまた起きたというのだ。
最高司令官すら頭を抱える痛ましい事件。
それ故に、見回りを強化し、事件が起きぬ様最善の注意を払っていたのにも関わらず
また目と鼻の先で事件が起きてしまった。


連れ攫われたのは年端も行かない少女らしい。――なんとも切ない話だ。

不幸中の幸いは連れの『少年』が残されていたこと。
早く情報を聞き、船を出して追わなければならない。



連絡のあった場所にたどり着くと、そこには大きな人垣が出来ていた。
その人達をよけ、兵士がその中心に進む。

人垣の中心には、一人の少年が居た。

見事な金の髪をしている。
青いマントが風に靡く姿が、ひどく目を惹いた・・・。


「・・・君」
兵士がそう声を掛けた途端…


ドゴォオオオオオオオンッッッ!!!

少年が突然手を振り上げ、傍にあった石壁を殴りつけた!


石壁は瞬時に蜘蛛の巣のような亀裂を生じ、すさまじい音を揚げると共に崩れ去る。

「・・ひっ!」

兵士は思わず腰を抜かした。
周りに居た人々も目を見開く。


人間の力ではない…。

それにこの気配…。


誰もが動けず、口も開けない…それを許されないようなこの空気。

それは決して恐怖ではない…。

だがこんな感覚、今まで感じた事がなった。


これだけの人が居て、誰一人、声を発していない。
誰もが一点を見つめ、呆然と見入っている。




石壁を砕いた少年の手には、かすり傷一つ付いていなかった。



人々の視線が集中する中、少年が口を開いた。
その声は恐ろしく低く、小さいにもかかわらず、全ての音を遮断し、皆の耳にはっきりと聞こえた。





「マスタードラゴン…聞こえるか」



…ああ…聞こえる…全てを見ていた


「…なら話す事はない。力を貸せ…」



…分かった…


不思議な声が途切れた瞬間、まぶしい光が辺りを包む。
その光が薄れた途端、人々の口から驚きとも感動とも、畏怖とも取れぬ叫び沸きあがった。



ドラゴンだ…。



巨大なドラゴンが、空に浮かんでいる。





教会で、城で、あるいは書物の中で、誰もが目にした事がある。
この世界で、その存在を知らない者など一人としていない。



天空の守護竜…マスタードラゴン



天空城の主にして、『天空の勇者』の守護神でもあるその姿。

それを己の目で見ることなど無いと、人々は思っていた。


神に対面できるのは、選ばれし者と勇者のみだと言われていた。



誰も動けない中、たった一人動いたのは  あの少年だった。



**


…クラウド…心を乱すな…
この愚かさもまた…人間故なのだ…。



マスタードラゴンの静かな深い声に、少年は何も返答しなかった。



…だが・・・私はいつでもお前の『守護竜』として力を貸そう…。





ドラゴンが少年を乗せて大きくはばたいた途端、揺るがすような大きな歓声があがった。




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